【インドネシア市民と日本観光・後編】スキーリゾート再生への道 (1/3ページ)
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日本を訪れるインドネシア人観光客が、ここ数年で急増した。その流れをさらに加速させようと、日本の旅行業界は、インドネシアで大々的なPR活動を開始する。
常夏のインドネシアに住む人々は、冬という季節に幻想的なイメージを抱いている。だからこそ、日本では真冬に当たる2月頃を選んで旅行する市民が多い。
そしてその現象は、バブル崩壊後に大きな傷を負った、我が国のスキーリゾートを再生させるかもしれない力も持っているのだ。
■ バブルの後遺症
日本のスキーリゾートは、バブルという異常な時代に異常な発展を遂げた。
だがそれは、凋落が決定づけられた形の発展である。80年代末のスキーブームは、観光業者が黙っていても客が来るという状態だった。
リゾート地区につながる道路は大渋滞を起こし、ゲレンデに到着してもまともに滑る場所すらないほどの集客。女子トイレは1時間待ち、リフトは3時間待ち、そしてホテルの予約は1年待ちだった。
にもかからわず、ゲレンデに併設されたレストランのメニューは、美味くもないカレーライスとラーメンとビールだけという、営業努力とはまったく程遠い有様だった。
それよりも、新しいゲレンデやペンションの粗製濫造に力点が置かれ、地元の集落にまで地上げ屋が現れたほどだ。
結果、地元にはリフトの残骸と廃屋しか残らなかった。
営業努力の存在しないビジネスは、“ファストマネー”しか稼げないということを知った時点で、もはや手遅れだった。バブル崩壊から長く続いたデフレは、人々に1年先のホテルの予約よりも今月の家計簿の中身を優先させた。
カレーライスとラーメンしか作れなかったレストランは、当然ながら次々と消滅した。
90年代に訪れたスノーボードブームも、スキーリゾートを復活させる手段には遂になり得なかった。バブル期の放漫経営の罪は重く、同時に旅行業界に深刻な後遺症を与えたのだ。
だが救いの手は、遥か彼方の南国から差し伸べられている。