紅白歌合戦“ドラマチック歌姫”の60年史!【<78年第29回>「カナダからの手紙」畑中葉子】 (1/2ページ)

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紅白歌合戦“ドラマチック歌姫”の60年史!【<78年第29回>「カナダからの手紙」畑中葉子】

 恩師である平尾昌晃とのデュエットで、史上まれに見る幸運なデビューを飾った畑中葉子(56)。紅白への切符も超特急だったが、記念すべき舞台は「師との別れの場」でもあった。

「デビューしてすぐに売れた? いや、その前からです。78年1月の発売なのに、その前年の12月には札幌の有線で1位になっていましたから」

 日本のカラオケブームの元祖であり、デュエット歌謡の定番となったのが「カナダからの手紙」だ。平尾昌晃の芸能生活20周年を記念したシングルで、主宰する音楽学校の生徒からパートナーが選ばれることになった。

「東京校でレッスンを受けていた5人の中から私が選ばれたんです。それから先生にデモテープをいただきましたが、正直、これは売れないなと‥‥。あの印象的なイントロはなくて、先生の生ギターと歌だけでしたから」

 楽曲にはのめり込めなかったが、高校卒業を間近に控え、どうしてもデビューしたいという気持ちが強かった。そしてレコーディングが完成すると、冒頭のように発売前から話題となる。発売と同時にTBSで「ザ・ベストテン」が始まったこともあり、瞬く間にチャートの1位を獲得。

「あっという間に売れちゃったから、歌手になった実感をかみしめることもない。まだ電車に乗って仕事場を移動しているのに、どこに行っても『あ、畑中葉子だ』と言われてしまう。現実と私自身とのギャップは大きかったです」

 同期でレコード会社も同じ石野真子は、デビューから2年後に「春ラ!ラ!ラ!」で初めてベストテン入りした。涙を流して喜ぶ姿に、ヒット曲を出すことの厳しさを再認識した。

「真子ちゃんはあんなに人気があったのに、ベストテンに入るということは、それほどすごいこと。その時には私は下降線に入っていて、焦りが出ていました」

 下降線に入ったのは、平尾とのデュオを早々に解消したことも否めない。78年の紅白は満場一致で当確がついていたが、畑中のソロ志向は強く、そのステージを最後に師弟としては「歌い納め」となる。

「紅白の少し前から、世間の風当たりの強さを感じるようになりました。どれだけ先生が“風よけ”になっていただいたのかも実感しました。

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