【世界の街角】世界で最も美しい街といわれる、パリの街並の秘密 (1/4ページ)

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【世界の街角】世界で最も美しい街といわれる、パリの街並の秘密


フランス・パリ。「花の都」として世界中の人々から賞賛されているパリですが、実はほんの150年くらい前までは決して美しい街ではなく、鼻が曲がるほど臭い街であった、という事実をご存知でしょうか。

実際、太陽王ルイ14世の死後、摂政を務めたオルレアン公の母親は、1718年8月25日の手紙に次のように書きのこしています。

「通りはとても臭くて我慢できないほどです。ひどく暑いため、大量の肉や魚が腐り、しかもその上、通りで立ち小便をする人が大勢いるので、とてもいまわしい臭いとなり、どうにも我慢できたものではありません。」

当時のパリは道の真中は必ず窪んで溝になっており、人々は日々この溝に排泄物や、汚水や生ごみなどを捨てていました。また、街路をトイレ代わりに使用するのはごく当たり前の行為であり、悪臭の大きな原因となっていました。

さらに、フランス革命が始まった年1789年にパリを訪れたロシア人のカラムジンは旅行記にこう記しています。

「一歩ごとに雰囲気はがらりと変わり、新しい贅沢品か最もひどい汚物に出くわす。このようなパリは最も素晴らしく最も嫌な都市であるとも、また最もかぐわしく最も悪臭のひどい都市とも、呼ばれなければならない。」

そんな巨大なスラム街のようなパリを刷新しようと立ち上がった英雄がいました。その男こそ、ナポレオン・ボナパルトの甥のルイ・ナポレオン、すなわち皇帝ナポレオン3世でした。

日本にペリーが来航した年である1853年、彼はオスマン男爵をパリ県知事に任命し、パリの街そのものを刷新するというフランス最大の都市整備事業に着手させました。

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