「手水舎→みそぎ」「賽銭→悪霊払い」―神社参拝マナーには深い意味があった! (1/2ページ)
あなたは鳥居から拝殿まで続く参道上で、いつもどのへんを歩いていますか?もし、真ん中を歩いているとしたら、ただちにあらためたほうがいいですよ。なぜならそこは「正中」といって「神様の通り道」とされているからです。
初詣など大勢人がいて前から順につめて並ばなければならないといった場合以外は、左右どちらでもいいので、中央をさけるようにして歩きましょう。ちなみに伊勢神宮内宮にある宇治橋には、中央に「盛り木」という高さのある木がしかれています。
初詣を前に、こうしたマナーが生まれた経緯や深意を知って、より神様とのご縁を深めましょう。
●手水の作法を怠るのは超タブー
寒い日など、手水舎を素通りしているという人はいませんか?手水舎での一連の作法は「禊(みそぎ)」の儀式を簡略したものだとされています。
つまり、この場所は身を清めて神前に出るための準備をする場で、単なる手洗い場や水飲み場とは違うのです。
神様は穢れ(けがれ)を嫌い、清浄を大変好みます。ですから、参拝前には手水舎で心身の禊をすることが必須なのです。
●賽銭はいくら入れるべき?
賽銭には「穴のあいた硬貨は避けるべき」とか「お札を封筒に入れるとよい」等々、諸説あります。
その昔は、神社参拝時にはお金ではなく、酒や絹の反物、米といった供物をお供えしていました。
それが後の貨幣経済の発達により、供物からお金にかわりました。神道では賽銭は自分の魂の分身と考えられています。そのため、賽銭の目的とは、自分の穢れを付着させ、それを投げ入れることで悪霊や穢れを祓うことにもありました。
それがいつしか、賽銭=祈願成就の代償と考えられるようになっていったのです。
こうした賽銭の背景や本来の意味から考慮したのなら、その額は結局「自分の気持ち」で決めるのが一番よさそうです。