小保方晴子氏が理研に宣戦布告...告白本に出版関係者「大きな論理破綻ない」

デイリーニュースオンライン

写真は「あの日」(講談社刊)表紙
写真は「あの日」(講談社刊)表紙

 日本の科学界を大混乱に陥れた「リケジョの星」がついに沈黙を破った。STAP細胞をめぐる論文の不正が認定された元理化学研究所研究員の小保方晴子氏(32)が手記「あの日」(講談社)を1月28日、発売したのだ。

 手記は全253ページ。小保方氏が科学者を志すようになった幼少期のエピソードから自身の半生を振り返っている。同著を読み終えた出版関係者が語る。

「文章もよく練られており、大きな論理の破綻もみられない。学生時代に作文で賞を取ったらだけのことはあります。ただ、自分の未熟さや論文の不備は認める一方で、主張は変えていない。言葉遣い使いは丁寧ながらも、理研やかつての研究パートナーに完全に喧嘩を売っている内容です。これは小保方さんの宣戦布告と受け取っていいでしょう」

「私は業火に焼かれ続ける無機物になった」

 冒頭から、懺悔のオンパレードだ。

「自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思います」
「重すぎる責任に堪え兼ね、死んでこの現状から逃れられたら」

 と騒動を引き起こしたことへの謝罪を繰り返す小保方氏。ただ、論文の不正が認定され、博士論文も取り消されるなど、一連の騒動の批判が集中する状況に追い込まれたことへの恨み節も並べている。

 騒動の渦中で、

「他の研究者たちも公に私個人に対する批判を述べることが社会的に許される風潮が作り上げられた」

 と指摘。世間からのバッシングを受けて辞表の意思を理研に伝えたときには、理研の理事から「そんな簡単に辞めるべきではない」とストップがかかったとし、

「辞めることもできず、コメントを出すこともできず、理研に留まることになった」

 と明かした。

 科学界を揺るがすスキャンダルへと発展していく過程で、2014年8月には論文の共著者で、小保方氏を指導する立場にあった研究者の笹井芳樹氏が自殺する悲劇もあった。

 その時の心境について小保方氏は、

「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」

 とつづっている。

 一方で、もう1人の共著者である若山照彦・山梨大教授には敵意を剥き出しにしており、騒動の渦中で論文撤回を求めたことに「ハシゴを外された」とし、

「私がES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれているように感じた」

 と口撃した。

 論文発表直後は「リケジョの星」とメディアに祭り上げられ、論文不正が明らかになった途端に世間の猛バッシングにさらされた小保方氏。だが、本の中ではメディア攻勢にさらされた際の心境もつづられている

「STAP細胞はありま〜す」という〝名言〟も生まれた会見での立ち居振る舞いが一部で評価され、一時は芸能界デビューも取り沙汰された小保方氏。今後の活動も気になるところだ。

(文/浅間三蔵)

浅間三蔵
1978年、神奈川県生まれ。大学卒業後、大手新聞社に入社。社会部記者として警視庁や司法関連を担当する。震災を契機に独立し、現在はフリージャーナリストとして週刊誌などで活躍中
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