目に見えない事実がそこにある。負の感情に支配され人に寛容になれない時の処方箋 (2/3ページ)
相手を決めつけることでさらに許せなくなる
自分が不愉快になったときに、私たちが取りやすい反応は、その人物を決め付けることだ。例えば、“上司は嫌な奴”、“車を運転している女性は無鉄砲で向こう見ずな人”、“同じグループの生徒は親から甘やかされたクソがき”、と決め付けてしまう。そう思っていることを口に出そうと、内心に留めておこうと、その後の結果は同じだ。
このような偏見的な感情を持つのは、相手のことや、なぜ相手がそのような行動を取っているのか知らないことに起因する。人間というのはとても複雑な生き物で、多かれ少なかれ、その行動にはそのときの環境や状況というものが関係してくる。
自分の友達や愛している人だと寛容的になれるのは、その人物の生い立ちや現在の状況などを知っているから。では、自分が彼らの個人的事情を知らないまま、目で見たものだけで判断を下すというのは理にかなっているのだろうか?
鬼軍曹の上司は、もしかしたら厳しい親のもとで育ち自分でも気づかないうちに、他人に厳しくなってしまったのかもしれない。しかし、その人物に思いやりや同情の心がないと決めることはできない。
無防備な運転の女性は、彼女の夫が癌で容態が急変し、急いで病院に向かっていた途中だったのかもしれない。
自慢ばかりする生徒は、親が仕事ばかりで愛情を受けずに育ってしまい、金持ちだと自慢することで社会的不安を隠しているのかもしれない。
これは例え話だが、実際には誰にでも、他人の目からは見えない事実がある。
人に寛容になることで自分の心を解放できる
だからと言って、この記事は悪い行動を容認しようという意図ではない。人間なら皆、優しい心で尊敬を払われるに値するが、中には正当化できないような行いもあるだろう。
それでも、不愉快な行動を目の当たりにしたときに、負の考えや感情を抱くことは、結局自分が更に嫌な気分になるだけで、負が増えるだけである。
大抵の人には良心は宿っている。その良心は心の奥深くにあり親しい人にしか見えない場合もある。