かつてアメリカには太っていることを謳歌する結社があった。「ファットマンズクラブ」の歴史 (2/5ページ)

カラパイア



[画像を見る]

 計量は競争イベントのひとつで、ニューヨークタイムズの1885年からの記事は、体重計に乗ったときのメンバーのがっかりした様子を伝えている。
 ジョージ・カップは、『俺は300ポンド(136キロ)以上増えてるに違いない』と自慢していたが、どっこい243ポンド(110キロ)止まりだったので、それはそれはがっかりしていた。友人たちは彼は悲しみのあまり、夕方までに少なくとも20ポンド(9キロ)以上痩せるだろうと思った。
 イギリスのスウォンジー大学の歴史家ダリル・リーウォーシーは、ファットマンズクラブは東海岸だけの現象ではなかったという。ネバダ州、ユタ州、テネシー州でも同じようにデブを誇りにする場があった。

 クラブはなんの心配もせずに食べる喜びを礼賛し、自分の腹回りを自慢する場所というだけでなく、本質的に交流会なのだという。メンフィスのファットマンズ・ベースボールクラブには、加入委員会があり、審判者や司祭やラビまでちゃんといた。19世紀後半に、人民主義者の民主党員ウィリアム・ジェニングス・ブライアンがマサチューセッツのコンコードにあるファットマンズクラブに行って、自分の大統領選への出馬支援を大々的にうったえこともある。

 ファットマンズクラブの最盛期

 ライターのポリー・タフレートの記録によると、最盛期、ニューイングランドのファットマンズクラブには1万人の会員がいたという。男たちは朝食をたっぷり腹におさめた後で外へ出て、馬跳び、幅跳び、徒競走などオリンピック並の競技会を和気あいあいと行って、男らしい強さを見せつけながら汗をかいたという。こうした運動は、夕方の次の豪勢な食事のために、またお腹をすかせる準備でもある。夕食もまた半端ない量なのだから。

 メニューは9品。
「かつてアメリカには太っていることを謳歌する結社があった。「ファットマンズクラブ」の歴史」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る