杉並区・中野区も「神奈川県」だった! 東京23区に残る「多摩の痕跡」を追う (1/4ページ)

Jタウンネット

中野サンプラザ(くーさんさん撮影、flickrより)
中野サンプラザ(くーさんさん撮影、flickrより)

前回、神奈川県と東京都の「領土問題」について、史料を基に紹介した。西多摩、南多摩、北多摩の「三多摩」に焦点を当てたが、もうひとつの「東多摩」にも領土をめぐるアレコレがあった。

このエリアには、ブロードウェイやサンプラザで知られる中野や、「ラーメンの街」荻窪といった繁華街があるが、これらもほんの数か月だけ「神奈川県」として扱われていたのだ。

中野サンプラザ(くーさんさん撮影、flickrより)

「不便の苦情」で、すぐに再移管

神奈川県からの申し立てをうけ、東京府から移管された「多摩郡」。しかし、明治5年8月19日(1872年9月21日)、神奈川県下にある多摩郡のうち、中野村など31か村を東京府管轄に移すとの通達が出る。この31か村が、現在の中野区・杉並区だ。通達や上申を見ると、「不便ノ苦情アリ」「見込相違」との文字がチラホラ。移管したはいいが、やはり神奈川県からは遠すぎたのだろう。

「杉並区・中野区も「神奈川県」だった! 東京23区に残る「多摩の痕跡」を追う」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る