田中角栄 日本が酔いしれた親分力(1)40までにやるだけやって死にたい! (2/2ページ)

アサ芸プラス

「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の武将のうちでは、俺は信長のような生き方をしたい!」

 短くともいい、激しく燃え尽きたかった。

 田中の兄は、幼くして死んでいる。自分もどうせ長くは生きまい、と覚悟していた。実際、幼い時から体もあまり丈夫ではなかった。それ故、周りの者にも言っていた。

「俺は40までに死んでもよい。ただし、それだけのことはやって死ぬ!」

 共栄建築事務所の仕事は、機械の製図や、機械基礎の計算であった。墨田区本所に日本特殊機械という会社があった。その社の新工場と寮の新築や材料置場の設置、重機械の据えつけなど、一連の仕事がもらえた。

 その社の仕事だけでなく、次々に注文をとっていった。建築や設計にはまったくのド素人であったが、まさに怖いもの知らずであった。田中は、測量から試案の作成、設計、計算、仕様書の作成、工事業者の選定、工事監督と、何から何まで自分1人でやれるようになった。死にもの狂いで生きよう、と決めていた。苦しくはなかった。

 都電に乗るのも、1停留所間だと利用するが、2停留所間になると、利用しなかった。のんびり都電に乗っている時間に、もっとたくさんの仕事ができる。田中は金がなくても、仕事を早く済ませるため、タクシーに乗った。普通の者が3日かかる仕事は、2日で済ませた。

 得意先の玄関に、相手に見えるようにタクシーを横づけにするのも田中の手であった。いま扱っている仕事は、こんなに金をかけているんだぞ‥‥という相手へのデモンストレーションであった。相手の心理を読むのには長けていた。

作家:大下英治

「田中角栄 日本が酔いしれた親分力(1)40までにやるだけやって死にたい!」のページです。デイリーニュースオンラインは、大下英治週刊アサヒ芸能 2016年 6/23号田中角栄政治家社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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