リングと呪怨の2大キャラが激突!映画『貞子vs伽椰子』を徹底分析 (3/3ページ)

デイリーニュースオンライン

■爽快感溢れる絶望のラストシーン

 そして、何よりもラストシーンのカタルシスが凄まじい。

 これは白石監督の作品世界――、いわゆる白石ユニバースを前提におくと理解しやすいのですが、白石監督の恐怖表現には「異界」というキーワードがあります。人智の及ばぬ圧倒的な世界である「異界」が存在し、そこからのエネルギーがしばしば人間界に流れ込んで怪異を引き起こす。それは人間の霊や動物霊とは別格の脅威であり、人間側の霊的技術体系では御し切れない、という思想です。

 そして、この思想が「貞子vs伽椰子」の根底にもあり、この作品を紛れも無く「白石監督の作品」としています。貞子と伽椰子のバックボーンを曖昧にして都市伝説化したのも、この思想性との兼ね合いで、ここは評価が分かれるところでしょう(正確には、それ以前に尺やバランスの問題があり、様々な問題を解決させるために、自身の思想性に軸を置いた、という感じでしょうか)。

 この処理によって、本作の貞子と伽椰子は本来の人間霊ではなく、「異界の勢力」と設定し直されます。霊能力者であり本作のヒーローである経蔵、ならびに霊視少女の珠緒(菊地麻衣・11)はおそらくそれに気付いていない。強力な人間霊だと考えて対処に動きます。人間霊であれば、苦戦はしても最後は霊的技術体系を駆使することで解決できる(ヒロインを生贄にして井戸に封印する)と考えています。だから、経蔵は最後までニヒルにカッコ良く戦い、珠緒も年齢にそぐわぬ超然とした態度を保ち続けます。

 それが一転するのが貞子と伽椰子が激突して、「さだかや融合体」に変わった瞬間で、経蔵はその余波を受けただけでアッサリと死亡。霊的技術体系の結晶たる封印井戸も理不尽に破られます。そして珠緒も、貞子、伽椰子の本性たる「人智の及ばぬ異界のエネルギー」を目の前にしたことで、ただの無力な少女へと戻り、絶叫を上げてこの作品は終焉を迎えるのです。

 並の人間よりも霊的に卓越した経蔵と珠緒が、人智を遥かに超越した存在に直面した瞬間、相対的に「ただの人間」の枠に押し込められてしまう。人類の叡智たる霊的技術体系は一蹴され、圧倒的脅威の前に人類に打つ手は一切なくなってしまう。そこに本作のカタルシスが結集されており、貞子と伽椰子という二大看板役者を最大限に格上げして、本作は華々しく終結するのです。

 呪いのビデオが動画として蔓延したこともあり、おそらくこの後、人類は滅んだと思われますが、完璧なバッドエンドにもかかわらず異様なまでの清々しさと高揚感! 「いやあ人類滅んだ。本当に良かった!」と心から思える爽快感! 僕たちは貞子と伽椰子の活躍を見に来たのだから、彼女たち二人が最大限に格上げされれば、そりゃあ気持ち良いわけですよ。

 ただ、ラストシーンはこれまでの白石監督作品群を見てなければピンと来ないかもしれません。そういった視聴者にも、「人智を超越する強大な存在が現れて、人類は敗北した」というニュアンスが伝わっていることを祈ります!

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 最後に繰り返しますが、僕がこの作品で何よりも評価したい点はそのオリジナリティです。

『リング』にも敬意を払う。『呪怨』にも敬意を払う。その上で「自分の作品を作る」という意志が明確に感じられる点です。単に焼き直したりくっつけたりは縮小再生産なので、新作を作るからには次の一歩を踏み出さなきゃいけないんですね。本作には白石監督でなければ出てこないキャラクターたちが動きまわり、ラストシーンでは監督の信じる最大の恐怖表現『異界』が描き出されています。

 無論、どこまで自分の作家性を出すべきか、『リング』『呪怨』の要素をどこまで変更して許されるのか、そこには葛藤があったと思います。「リングファン」「呪怨ファン」「白石ファン」全ての観客が納得できるバランスではないのかもしれません。それでも「リングファン」であり、「呪怨ファン」であり、「白石ファン」である僕としては、今回の調整は最善に近い回答であったと思うのです。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『ダンゲロス1969』(Kindle)

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