82歳筆者が考える、オバマ大統領の広島訪問...「日本人」の放ったタイムリーヒットだった (3/5ページ)
一番顕著な悪は、その人の「生命を喪失させること」つまり、(名誉であろうが、無かろうが)「戦死」という生理的破滅、次が「身体を損傷させること」(名誉か、不名誉な)負傷や傷病をもたらす生理的損傷、そして更に筆者も経験した「栄養不足あるいは栄養失調」つまり、食糧の絶対的欠乏に起因する生理的ダメージである。
こうした「人体が生理的なダメージを蒙る」という戦争体験は、理屈や議論を超越するものである。そう言った意味で、筆者は何処まで行っても、原爆被爆者の立場には立てる訳がない。
くどいかも知れぬが、筆者は被爆者では無い立場でしか意見を述べることが出来ない。その立ち位置で、塩野さんの言われることも、さもありなん、と思う。また、そこまで言わなくても、単純に米国大統領が広島を訪問し、献花し、資料館を見学し、被爆者と言葉を交わしたという事実そのものに、十分それなりの意義があった、と考える。その意味では、オバマ大統領の決断を評価したい。
「国家」と「個人」この一筋縄では行かぬ上、合い馴染まぬ関係をずっと考え続け、長年友人達とも議論して来たが、未だに筆者自身が納得出来る「解」は見いだせない。
オバマ氏も大統領であると同時に、一人の人間でもあるわけだから、自ら広島の地を踏んだことは、彼のあの時の巧みな広島演説にも当然影響を与えていたに違いない。
そのオバマ大統領の広島訪問27日には、世界各国の120人余りの報道陣が被爆地を駆け回り、原爆ドームを背に生中継し、市民の声を速報した、という。この事実こそが最も重要な事柄だし、成果というなら、それが成果そのものであろう。
知らない人に知らしめること、これが先ずスタートであり、伝聞だけでは無く、その地に立ってみること、それが理屈を超えた理解を深めることだし、現代のテレビ報道やインターネットを介した情報の伝達が、その地、その現場に立った一人の人間から発せられたものであれば、不完全ながらも、現場から遠く離れた人々にも、なにがしかのリアリティをもって伝わる可能性は高くなる。
中でも、淡々としたメディアの伝え方が目立った米国のUSAトゥデーのカーク・スピッツァー東京特派員は「投下の是非を判断するのは難しい。