元西武・羽生田忠克氏「闇カジノ8億円」地獄を懺悔告白!(2)最初は18連勝で大儲けも… (1/2ページ)
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週刊アサヒ芸能 2016年 8/11号
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現役時代から、競馬も麻雀もやらず遠征先の暇つぶしにパチンコを打つ程度、ましてや昨今話題の野球賭博などにはまったく無縁の“ギャンブル初心者”だった羽生田氏だが、実はカジノに行くこと自体は初めてではなかった。
「西武入団後、4年ほど野球留学でアメリカの1Aに行ったんですが、その遠征先で何回か行ったことがありました。ラスベガスと同じネバダ州にあるリノって町で、本当に小さい額で遊んだ程度です。賭け金1ドルが1000ドルになったりしたこともあったけど、特におもしろくてのめり込んだということはなかった」
しかし、“賭場”への耐性があるとないとでは大違いだったようだ。事実、羽生田氏には、日本で連れて行かれた闇カジノでの賭博行為が違法だという認識がなかったという。
「店は東京都下の羽村市って所にあってね。連れて行ってくれた社長もヤクザ関係でも何でもなかったし、悪いことだという感覚はありませんでした。『ちょっと遊びに行こうか』って感じ。バカラの台が1台置かれてるだけの狭い地下の店でした」
初日、羽生田氏は大勝ちする。3000円が18万円にも化けたのだ。
「今思えばバカみたいだけど、『これ、負ける人いるのかな?』って思ってしまいました。それからその社長に何回か連れて行ってもらって、慣れてきたら自分1人でも行くようになった。行くたびに勝って、18連勝したんですよ。だいたい2~3カ月で1000万円くらい儲かった。『給料が少ない』ってことで始めた博打なんだから、勝った金は当然、家に入れてましたよ。豪遊とかはしてないです。でもね、やっぱりちょっと、おかしくなった。暇があると店に行くようになって、羽村だけじゃなくて、新宿や川口、錦糸町に横浜と、方々のカジノに行きました。その頃にはもう違法賭博だってわかってたけど、止まらなかったです」
大勝に次ぐ大勝は単なるビギナーズラックだったのか、それとものちの搾取に向けての誘い水だったのか、今となっては知るよしもない。当然、ギャンブルに勝ちっぱなしなどあるはずもなく、負けが込み始めた。
「ずっと負け続けているわけじゃなくて、たまに勝っちゃうから引き際がわからなくなってくるんですよ。1回の張り方もどんどん高額になっていきました。