東京から岡山へ、Uターンで「仏を彫る」生き方を選んだ元教師【前篇】 「彫るということは三次元を三次元として表せばよい」 (2/5ページ)

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十二神将・アニラ大将(未神)・・岡山県備前市大滝山実相院蔵
十二神将・アンチラ大将(申神)・・・岡山県備前市大滝山実相院蔵
―大忙しの毎日ですね。ちなみに、伊久さんは、もともとなぜ、仏像を彫るようになられたのでしょう?

私の場合は、57歳まで東京都内の某男子高の教師でした。当時は授業を行いながら、生徒が中心になる形で、アルミ缶を集めてネパールに教育援助するボランティア活動(NGO活動)を10年以上やっていました。そこへ机上の勉強のみに重きを置く人間的に欠落した校長がやってきて...もっとも、これは私の主観ですが。生徒からは掃除のゴミを校長室に投げ込まれるは、「校長室」のプレートは割られて捨てられるは...。私も校長とは折り合いが悪くなり、シュタイナー教育を持ち出してきた時、鼻で笑ってやって、とっとと辞めた...と。それがそもそもの始まりです。

―それはなかなかカッコいいというか、今風に言えば、パンクな生き様ですね。学校をお辞めになられて、どうされたのですか?

年老いた母が田舎で一人暮らしでしたし、ここで学校を辞めても、4、5年は一緒に暮らせるだろうか...と、そんな状況もあったので、57歳で早期退職して、生まれ故郷である岡山の片田舎へUターンすることになったんですね。ところが、田畑はあるものの、ナマクラな体に成り果てて、百姓仕事ができる体ではなかったんですよ。でも、桃の木があったので桃づくりをやったり、空いた所では里芋や黒豆などの栽培をやることにしました。

―なるほど、早期退職の後のUターンを機に、農業をはじめられたというわけですね。

ええ。
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