東京から岡山へ、Uターンで「仏を彫る」生き方を選んだ元教師【前篇】 「彫るということは三次元を三次元として表せばよい」 (3/5ページ)

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でも、いずれも夏のさなかの仕事が多いですから、何度も倒れそうになってしまうんです。今でもそうだが、体には応えます。そうした生活ですから、今でも当時の生徒たちからは心配の声が届くこともあって...(苦笑)。...ありがたい話です。
―長年、都会暮らしをご経験された後でのUターンというのは、とても興味深いですし、戻ってからの暮らしについては様々な人にとっての参考になると思います。実際に、どのような暮らし向きでしたか?

正直なところ、早期退職して年金生活に入るまでは、退職金を食いつぶす状態でした。桃ができれば、わずかばかりの金が入り、栗が出来れば栗を売り、柿が出来れば柿を売って、生活費に入れるという感じです。なにせ、自分の場合は、農業収入が年間7万ほどですから、「牛肉が食いたくなったので、柿でも売るか...」などと、近所の人々に冗談を飛ばしながら、「田畑あれば何とかなるさ」的な生き方をしていました。それから10年以上の時間が過ぎましたが、結果、「田畑あれば金がかかるだけ、青空で野菜、果物を買った方が生活は楽」という考えに変わりましたね。でも、まだ懲りずに低農薬で桃や野菜を作っているんです。だから今は、午前中は彫刻、夕方から畑仕事と生活のリズムが出来上がりました。

―そうした暮らしの中で、仏像との出会いがあったということでしょうか?

ええ、そんな暮らしをしばらく続けていたのですが、ある時、我が家の裏にある阿弥陀堂の小さな阿弥陀像の修復話が持ち上がって、仏師と称する人が見に来たんです。作務衣姿の方でしたでしょうか。その方は耳が不自由で、言葉も聞き取りにくかったのですが、その時、「フムフム...なるほど...」と、訳もわからず何か納得しましてね。それで阿弥陀様の修復が終わったときに、「仏像彫刻、やってみたいのですが...」と訊ねてみると、その方は「家に、2人習いに来ていますよ」と。これはまさに阿弥陀様のめぐり合わせとでも言うべきでしょうかね、それから週1回、2年ほどは欠かすことなく通うことになったんです。その方が、今は、わが師である仏師・長谷川隆鳳なんです。

―ちょっと変わった出会いだったんですね。

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