【古式銃のテクノロジー・前編】すべては「種子島」から始まった (1/3ページ)
「火縄銃伝来」という出来事は、どこの中学校でも必ず取り上げられるだろう。
1543年、後期倭寇のジャンク船に乗った3人のポルトガル人が種子島に上陸した。彼らはマスケット銃を所持しており、それを種子島の領主に見せた。このあたりは日本人なら誰しもが知っているであろう知識である。だがその銃を、地元の鍛冶職人がたった1年ほどでコピー生産してしまったことは意外と知られていない。
種子島は、もともと鋳物づくりが盛んな地域だった。島では上質の砂鉄が採取できたのだ。こうした基礎技術が、短期間での鉄砲製造を可能にした。
これは見方を変えれば、我が国の工業史の金字塔である。火縄銃は日本の伝統技術のレベルを証明し、しかも後世に渡ってその技術を大きく発展させた。
今回の前後編連載『古式銃のテクノロジー』は、当時の最新鋭兵器である銃の構造はもとより、それが我が国の工業技術に何を与えたかを追求するものである。
■ 必要不可欠なふたつの部品
火縄銃、すなわちマッチロック式マスケット銃とは、ご存知の通り火種を火薬に押しつけることで弾丸を発射する武器である。
火縄銃の製造には、以下のふたつの部品が欠かせない。ネジとバネだ。
ネジは銃身末尾の穴を塞ぐために用いられる。これは尾栓ネジと呼称されるが、16世紀中葉の日本にはネジ製造の技術がなかった。そのため、刀鍛冶の八板金兵衛は自分の娘をポルトガル人に差し出し、代わりにネジの製法を教えてもらったという伝説もある。
ともかく、金兵衛の仕事は極めて早かった。鉄砲伝来から国産化成功を領主に報告するまで、わずか1年程度。ネジには手間取ったものの、それ以外の部分は1年足らずで製造してしまったという。
だが、もし金兵衛が刀鍛冶でなかったら、バネの製造にもてこずっていたかもしれない。着火媒体である火縄を操作する火挟みという部品は、バネの力で上下する。だがバネというものは、材料となる金属に強度と柔軟性がなければ話にならない。硬すぎたら折れるし、柔らかすぎたらバネとして使えない。
そうした絶妙な金属を生産できるのは、日本では刀鍛冶しかいなかったのだ。