【古式銃のテクノロジー・前編】すべては「種子島」から始まった (3/3ページ)
信長はかねてより鉄砲生産で名が知られていた国友という集落に、惜しみない投資を行った。結果、日本の鉄砲はヨーロッパのそれとは異なる独自の進化を遂げるようになる。
日本の火縄銃は、大口径銃が非常に多い。三十匁、六十匁、百匁、そして二百匁の火縄銃というのも存在する。百匁以上の銃は、ヨーロッパでは大砲と見なされるだろう。だがそれらは青銅を鋳造したものではなく、鉄を鍛造したものだ。

鍛造、すなわち「叩いて引き延ばす」手法による鉄製品は、あまり大きなものにはならない。当然だが、鋳造のほうがより大きなものを作ることができる。ところが鉄を完全に溶かすには摂氏1,500℃強の温度が必要で、16世紀にそのようなことができる鋳物職人は皆無だった。反射炉の発明はまだ先のことである。
だから日本の鉄砲鍛冶は、鉄鍛造の限界に敢えて望んだ。その結果、二百匁火縄銃というような恐ろしく巨大な代物まで登場した。ヨーロッパの職人なら青銅の鋳造で済ませるようなサイズの代物を、日本人は鉄でこしらえてしまったのだ。
こんな国は他にない。
【動画】
※ 火縄銃の組み立て、発砲。 − YouTube