【プロ野球】《引退選手のドラフトをプレイバック》ファンに勇気を与え、ファンに支えられたハマの番長・三浦大輔 (1/2ページ)
■ファンを思って涙を流す
9月20日、DeNAの三浦大輔が横浜市内のホテルで記者会見を開き、引退を表明した。
本人のあいさつ、高田繁GMの経緯説明に続き、メディアに対しての質疑応答が行われたが、引退を決断したことで吹っ切れたのか、終始表情は明るかった。
しかし、唯一、言葉に詰まったのが、ファンに対するメッセージを求められた場面だ。
「自分も寂しいです。まだまだ離れたくないですし、いろんなことがファンの方との間にありすぎて、ぼくもつらい。ずっと横浜のユニフォームを着て投げたいという気持ちがあります。でも、いつか、現役を引退しないといけない、誰もが通る道だと思うので、ぼくもつらいです。今年だけでなく、もっと前にもつらいこといっぱいありました。これまでも、引退かな、やめないといけないかな、と思うときもいっぱいありました。2軍で、1軍の試合のテレビを見ていたときも……」
ここまで話したところで、こらえきれずに言葉を詰まらせる三浦。声にならない声で「すいません……」と2度。この間、約15秒の沈黙。そして、なんとか声をしぼり出す。
「……18番のユニフォームを着て、スタンドで応援してくれているファンをテレビで見たら、絶対あのマウンドに戻るんだ、って。そう思って、頑張ってこれました。それだけ、三浦大輔に力を与えてくれましたし、応援があったからここまでやってこれたと思います」
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■ファンとの適度な距離
また、最も印象に残った勝ち星を聞かれ、悩みながらも節目の150勝目を挙げた。
「ぼく自身、すごくうれしかったんですが、それ以上にファンの方が喜んでいて、それを見てまたぼくも喜んでいたな、という印象が強かったので思い出に残っています」
2008年にFA宣言し、阪神に移籍の可能性が大きく報じられるも、結局、横浜に残った三浦。「強いところを倒して優勝したい」ということを一番の理由に挙げていたが、あのときの横浜ファンの三浦残留への熱意はすごかった。三浦の決断にも大きな影響を与えたに違いない。
野球選手に限らず、ファンがいるような職業の、その距離の取り方は非常に難しい。近すぎず遠すぎず、三浦とファンの距離は理想的だったのではないか。