石川ひとみ「病気になっても、心の髄の部分には“歌”がずっと残っていた」 (1/4ページ)

日刊大衆

石川ひとみ「病気になっても、心の髄の部分には“歌”がずっと残っていた」

 大ヒット曲『まちぶせ』で紅白出場を果たしたのは、1981年。その後、歌番組『レッツゴーヤング』の司会など歌手以外でも大活躍された石川ひとみさん。87年に大病を経験され、今、再び歌手として輝く彼女に、アイドル時代から最近のライブ活動まで聞いた!

――最近、この美女トークには岡田奈々さん、石野真子さんといった70、80年代のアイドルの方々が登場してくださってます。石川さんも相変わらずお美しい!

石川:そんなことないですよ(笑)。最近もライブをやらせてもらっていますが、当時からのファンの方がよく来てくださるんですよ。

――では、ライブは50代ぐらいの方が中心ですか?

石川:いや。それが20代の方もいらっしゃるんです。

――それは意外です。

石川:そうですよね。でも最近は、YouTubeとかで昔の映像が見られるじゃないですか。そういうのを見て興味を持ってくださったんだと思います。

――そのアイドル時代ですが、超多忙な日々だったんじゃないですか?

石川:はい。でも、私としては、そんな感じはしなかったですね。若かったから一晩眠ればすぐに元気になっていたので(笑)。

――一晩寝たら大丈夫なんて、タフでしたね。

石川:そうなんです。でも日本中、いろんな場所に行きましたね~。今日は北だっけ? 南だっけ? って不思議な感覚でしたね。

――曜日の感覚もなくなったりしません?

石川:それは、ちゃんとあったんですよ。私は、音楽番組『レッツゴーヤング』や人形劇『プリンプリン物語』のレギュラーの収録日が決まっていましたので。そうそう、あの頃は音楽番組の楽屋は、出演者がみんな一緒だったんですよ。

――個室ではなく?

石川:はい。だから、メイクでも、楽屋の鏡を先輩の方が使ってらっしゃたら、ずっと使えなかったり。

――やっぱり、上下関係は厳しかったんですね。

石川:空いているところがあれば使えましたけど、空いてないときは大きなテーブルでやっていましたね。

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