葬儀には欠かせない「骨壷」を作っておくという終活もありかもしれない (1/3ページ)
古代ギリシア人にとって、葬儀は人の人生の総決算であり、個人の名誉を讃える場でもあった。そのため、現代の我々が捉える葬儀以上に重要なものであった。そのような葬儀観を持った古代ギリシア人の墓は、どのようなものだったのだろうか。当時の墓所に残された遺物である、壷を通して考えてみたい。
■古代ギリシアでは器の表面に描かれる絵は「物語」を表していた
当時、「ものを入れるもの」は、今日のような、ガラスやプラスチック、金属製のものではなく、粘土で作った器が用いられていた。それゆえ、現代人の目からすると、単なる「粘土製の土器」にしか見えないものであっても、古代ギリシア人は用途に応じて、さまざまな大きさや形の器を作り、使っていたのである。
しかも、紀元前7世紀に、今日我々が知る、大理石による精緻でモニュメンタルな人物彫刻がさかんになってからは、そうした器の表面に描かれる絵は、「物語」をいかに表すかということに力点が置かれ、現代日本の漫画やイラストを彷彿とさせる、人物やその状況を類型化・形式化させ、劇的に強調したものになっていった。
■古代ギリシアでは壷が重要な意味を締めていた。一方、日本では葬儀の壷といえば…
そのような粘土製の器の中で、特にレキュトス(lekythos)と呼ばれる、直径10〜15cm、高さが30〜50cmの香油壷は、紀元前5世紀半ばから、葬儀で重要な役割を果たしたものだった。
レキュトスの中にはオリーブ油、そしてバラや白檀、フランキンセンスなどの香り高い精油が入れられ、遺骸を浄める際に用いたばかりではなく、遺骸と一緒に埋葬されたり、墓標の代わりにも用いられていた。そして古代ギリシアの器の多くは、赤絵や黒絵と呼ばれる、モノトーンの文様や彩色が施されていたのだが、レキュトスの場合は、表面の白色化粧土に、赤・茶・青・黄・群青色などの派手な絵の具を用いた絵が描かれていた。
絵のモチーフの多くは、葬儀の様子や、墓所に参る人物を描くなど、死者への慕情や哀悼の意を表したものだった。幸運なことにレキュトスの多くは、摩耗や破損がつきものの日常雑器とは異なり、墓所に収められたり飾られたりしていたために、とても長い時を経過したものであっても、比較的良好な状態で発見されている。