「真田丸」ファンに朗報! 本多正信・政重が関ケ原や大阪の陣で使用した武具を金沢市で見る (3/5ページ)

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一方、徳川本家の石高は七百万石だったので、やはり将軍家は別格だったのですね…。

ところでこの加賀本多家初代・政重の経歴も、なかなか興味深いものがあります。

始めは父・本多正信と同じく徳川家に仕えていましたが、訳あって江戸を離れ、大谷吉嗣、宇喜多秀家に仕えました。関ケ原の合戦では、父・正信は家康の側近として活躍しますが、政重は宇喜多秀家の家臣として石田三成方で奮戦しました。戦国の世の習いとはいえ、ここでも親子で敵対することになったのですね…。

実はその時政重が身に着けていた甲冑も、加賀本多博物館で見ることが出来ます。大変良い保存状態で、当時の空気が伝わってくるようでゾクゾクします!

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色々威二枚胴具足

加賀本多家初代・本多政重が、宇喜多秀家の武将として関ケ原の合戦で使用したと伝わるものです。また常設展示ではありませんが、本多正信が関ケ原で使用した槍もありました。

関ケ原で敗北した後、本多政重は高野山に隠棲しますが、福島正則に招かれ慶長7年(1602年)、加賀前田家二代当主・前田利長に仕えます。そして慶長9年(1604年)に上杉景勝の重臣・直江兼続の娘婿になり米沢に移住、名を直江勝吉と改めます。子どもがいなかった上杉景勝は直江兼続の娘を養女にし、本多政重との間に生まれた子供に上杉家を継がせようとしました。しかし景勝に子どもが生まれたため、政重は身を引いて江戸に行き、慶長16年(1611年)、再び前田家に仕えることになったとか…。

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