死装束としての「経帷子」は、案外新しい時代に取り入れられていた (1/2ページ)

心に残る家族葬

死装束としての「経帷子」は、案外新しい時代に取り入れられていた

いわゆる日本式仏式葬儀の形式のルーツは、実は中世の禅宗にまで遡る。 この時代、禅宗の宗派の一つである曹洞宗では、独り立ちの僧侶になる前の修行僧(雲水)が亡くなった際、彼らの志を果たしてやるため、故人を正規の僧侶としての扱いで弔うしきたりがあった。 このしきたりを、男女僧侶ではない一般の人々の葬儀に応用し、故人は死後の世界で僧侶になったとみなしたのが、日本式仏式葬儀の始まりであった。

■仏式葬儀の普及時にはまだ経帷子は使用されていなかった

そして、浄土真宗以外の日本式仏式葬儀で死者の衣装とされる「経帷子」(近年では、故人にはお気に入りの服を着せ、経帷子は棺に入れるだけとするケースが多い)は、往時の僧侶が聖地を巡礼する際の、旅装束をイメージしている。ところが、この経帷子は、実は案外新しい時代に取り入れられた習慣であった。

中世の半ば〜後半頃、禅宗の信者である高位武家の一般人(ここでは、亡くなった時点で出家していない男女)が亡くなった際、故人の髪を剃って僧侶の服装をさせ、火葬や土葬をするケースが多くなってくる。しかしこの習俗が、そのまま直接、故人に経帷子を着せるしきたりになったのではない。

■その後、火葬という埋葬方法は衰退していった

中世末期〜近世初期に、それまで着実に支配層の人々に取り入れられていった火葬を、タブー視する空気が生まれた。大きな理由は2つある。1つは、祖霊信仰と混交した儒教道徳が強まったことによって、「火葬は親や主君の遺体を焼いて失わせるため、忠孝道徳に反する」とする価値観が生まれたことである。もう1つは、これまた祖霊信仰と密接に結び付いた、「火葬は悪臭や『穢れた煙』の発生源になるため、死後『神』となる貴人にふさわしくない」という価値観が生まれたことであった。

そしてこの2つの価値観は、一体化して益々強まり、それまで火葬を採用していた上流層の人々は、次第に火葬を廃止し、土葬を選択するようになっていった。

そのため江戸時代には、身分に関係なく、火葬は余り広まらなかったのであるが、この新しい価値観の登場は、一方では埋葬される死者のいでたちにも、変化をもたらしている。

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