物語はクライマックス! 大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地を巡ってみた (1/5ページ)

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物語はクライマックス! 大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地を巡ってみた
物語はクライマックス! 大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地を巡ってみた

photo by NHK公式サイト

物語は大坂の陣へと進み、いよいよ最終決戦となる大河ドラマ「真田丸」。最終回も目前に迫っています。今回は、打倒徳川家として活躍する大阪五人衆と、真田幸村を取り囲む主要人物ゆかりの地についてまとめました。それでは、「真田丸」にまつわる人物たちの生きた証を辿っていきましょう!

■真田幸村(信繁)

関ヶ原の戦い後、紀州九度山村に幽閉されていた真田幸村。そんな幸村のもとへ豊臣秀頼の使い・明石全登が現れ、徳川家康を討つための参戦を懇願されました。結果、豊臣方の味方として参戦に合意。大坂の陣では、大阪城を守るため「真田丸」という砦を作り、見事に徳川方へ打撃を与え追い詰めました。その大活躍した真田丸があったとされる大阪市・玉造には、真田丸と大阪城をつなぐ地下の抜け穴を作ったとの言い伝えがあります。その抜け穴跡が、三光神社に存在します。

 ◆真田山 三光神社(真田の抜け穴)

所在地大阪市天王寺区玉造本町14番90号アクセス阪神高速13号東大阪線 森之宮ICまたは法円坂ICより、中央大通り→上町筋→国道308号線を経由し約10分。詳細 http://www.sankoujinja.com/index.html■真田信之

幸村の兄・真田信之は、信州松代藩初代藩主。関ヶ原の戦いにて幸村とは敵と味方に分かれてしまいましたが、二人の絆は深く残ります。その信之が小田原合戦後に城主となった沼田城。五層の天守閣を建造し、信之から5代にわたる91年間、真田氏が治めていました。その後、沼田城は幕府の命により取り壊され、現在は城の石垣の一部などが残る沼田城跡公園となっています。

◆沼田城跡公園photo by 沼田市所在地群馬県沼田市西倉内町594アクセス関越自動車道 沼田ICより、国道120号線(日本ロマンチック街道)を経由し約10分。
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