トヨタ、WRC復帰記念! ラリー挑戦の軌跡を振り返る (2/5ページ)

イキなクルマで

このチームの活躍がトヨタの目に止まって、トヨタは1972年より資金や技術支援を開始。トヨタワークスが撤退した1975年にはトヨタの公認を受け、チーム名を「TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)」と改めてベルギーに拠点を構えます。その年のWRC第7戦1000湖ラリーで、TTEはTE27型カローラ・レビンを駆るハンヌ・ミッコラが優勝。レベルの高さを見せつけました。

■サファリ最強として君臨したGr.Bマシン写真は東京オートサロン2017より

1980年代前半のWRCは、よりハイパワーなGr.B(グループB)と呼ばれるマシンで選手権が争われていました。トヨタもこの波に乗り遅れまいと、TA64型セリカ・ツインカムターボを製作。1983年の第9戦1000湖ラリーでデビューを飾り、第11戦アイボリーコーストでは初優勝を記録しています。

このクルマの性能が最も活かされたのは、サファリラリーでした。毎年春にケニアの大草原で繰り広げられるこの過酷なラリーで、セリカ・ツインカムターボは前人未到の3連覇を達成(1984~1986年)。「ラリーのトヨタ」復活を大きくアピールしたのです。

■幻の「Gr.S」マシン、222Dphoto by the strangest brew

Gr.Bマシンで争われていた1980年代前半のWRC。FISA(国際自動車スポーツ連盟)は、Gr.Bより過激なGr.Sと呼ばれるマシンで1980年代後半の世界選手権を想定していました。このレギュレーションに則りトヨタが開発したマシンが「222D」です。初代MR2のようなボディ形状をしていますが中身はまったくの別物で、ミッドシップで4輪駆動という出で立ちでした。「ミッドシップ+ハイパワーターボ+4WD」という、当時最強のスペックを誇っていましたが、Gr.Bで行われた1986年のWRC第5戦ツール・ド・コルスでのヘンリ・トイヴォネン(ランチア)の事故死をきっかけに、Gr.S構想は白紙に。幻のマシンとなってしまいます。222Dは11~15台製作されたとされる説がありますが、真相は定かではありません。

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