モデル、女優、ミス・ユニバース出身。芸能界からフォトグラファーへ。大島央照さん(前編) (2/4ページ)

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他の生徒さんはカメラマンになりたくて来られているのに私は伊島薫さんに撮られるたい!という事が目的で学校に通っていたんです。卒業課題では同じ大学に通っていたお友達で女性現代アーティストのドキュメンタリー写真を約1年かけて撮り続けていたり…。学生時代はとにかく誰にも撮れないようなシーンを撮ろうという意欲と、今、目の前にあるモノを撮るという好奇心と、いろいろなモノが渦巻いていたと思います。でもそれが私の写真の原点になりました。 写真とモデル、平行して仕事をこなすのは大変だったのでは…? 大島 二十歳の頃からモデルの仕事と写真を平行していましたので確かに大変で した。当時入っていた事務所の社長さんから坂上忍さんのワークショップを薦めて頂き、「やってみよう!」というチャレンジ精神でお芝居も始めて。とても厳しくて正直しんどいと思ったこともありましたが面白かったですね。ロードムービーの主演をさせて頂いたことは今でもよく覚えています。坂上さんからも「女優に向いてる」と嬉しい言葉も頂いて…。週末は芝居の稽古、その傍らでモデルとカメラマンの仕事。とりわけカメラマンの仕事がどんどん増えてきて。寝る時間もなく、ハードな生活を送っていました。 女優以外にもモデル、フォトグラファーとそれぞれの世界で仕事にしていくというのは難しいことですよね。 大島 モデルとして活動していくという点においては、パリコレモデルというのが ずっと目標としてありました。招待状がないと入れないパリコレに、私は自分のコンポジを持って、パリコレを見せてほしいと訴えて。もちろん中に入れてもらえず、雨の中ずっと外で待っていたら担当の人が来てくれて…!なんと会場に入れてくれる!という出来事もありました。そのモチベーションで帰国をして、街中を歩いている中で声をかけて下さったのがミス・ユニバース・ジャパンの主催者であり、多くの日本女性をコーチしたイネス・リグロン。彼女との出会いでミス・ユニバース・ジャパンに挑戦しようと決意しました。ミス・ユニバースを通じてなら、モデルとしてだけではなく、人として見られることの面白さや社会貢献、そして何より、写真を通じて日本の良さを世界の人達に発信できると思ったことが参加しようと思った最大の動機になりました。

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