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世界遺産の中世の街・プラハが「建築博物館」と呼ばれる理由とは

チェコの首都プラハ。かつて神聖ローマ帝国の都として栄えたこの街は、「百塔の街」「黄金の都」など、数々の異名をとっています。

プラハを形容する言葉のひとつが「建築博物館」。プラハには、ヨーロッパの歴史を彩ってきたさまざまな建築様式の建物が並んでいるというだけでなく、それぞれの建造物の質がきわめて高いからです。

プラハが「建築博物館」と称されるゆえんとなった、多彩で壮麗な建造物の数々をご紹介しましょう。

・ロマネスク様式(10世紀後半~13世紀)

ロマネスク建築が生まれたのは、建築資材が木造から石造りへと変化した時代。地域や宗派によって特徴はさまざまですが、後世の建造物に比べ、質実剛健な建物が多い傾向にあります。

代表的なプラハのロマネスク建築のひとつが、プラハ城内にある聖イジー教会。920年に木造で完成したプラハ最古の教会です。

火災に遭い、1142年に石造りの初期ロマネスク様式に改築されました。17世紀に初期バロック様式で増築されたために正面は華やかな姿をしていますが、内部はロマネスク様式らしいシンプルで力強い造りになっています。

・ゴシック様式(12世紀半ば~15世紀末)

ロマネスク様式に比べ、繊細さや装飾性が発展したゴシック様式の時代。飛梁の発明により壁は薄くなり、高い天井と大きな窓がつくられるようになりました。

プラハを代表するゴシック建築といえば、プラハ城の代名詞存在である、聖ヴィート大聖堂。

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