【プロ野球】オリックスの佐藤さん!? 40歳でノーヒットノーランにパンチパーマ…。名字と球団の不思議な関係 (1/2ページ)

デイリーニュースオンライン

名字と球団の不思議な関係
名字と球団の不思議な関係

 日本人の名字で一番多いといわれているのは「佐藤」。

 そのため、確率的には「佐藤姓」のプロ野球選手が生まれる可能性も高い。G.G.佐藤(元西武ほか)しかり、由規(ヤクルト)しかり、記録にも、記憶にも残る選手がいる。

 そして、「佐藤姓」で活躍、もしくは人気を博した野球選手は、不思議とあるチームに偏っているという事実がある。そのチームとはオリックス(阪急を含む)だ。

 そこで今回は、オリックスにまつわる佐藤姓の選手を紹介したい。

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■オリックスで活躍した「佐藤姓」のパイオニア

■佐藤義則(1976年/阪急1位)

 オリックスが誇る「佐藤姓」の選手の筆頭といえば、“ヨシボール”を武器に活躍した佐藤義則。

 日本大からドラフト1位で入団すると、即戦力として活躍し1年目で新人王を獲得。その後は低迷期もあったが、1985年に21勝で最多勝に輝くなどエースとしてチームを支えた。

 佐藤義則のキャリアのなかで、特筆すべきは1995年に40歳でノーヒットノーランを達成したことだろう。2006年に山本昌(元中日、当時41歳)によって更新されたが、40歳での達成はNPB最年長記録かつ、NPB史上初の快挙だった。

 また引退後は、ダルビッシュ有(レンジャーズ)や田中将大(ヤンキース)などを育てるなど、名コーチとして腕をふるっている。

■キャラの濃さで爪痕を残したパンチ佐藤

■パンチ佐藤(本名:佐藤和弘、1989年/オリックス1位)

 最近の若い方にとっては、板東英二(元中日)や定岡正二(元巨人)らと同様、「本当にプロ野球選手だったの?」というタレント扱いになっているパンチ佐藤。

 あらためて現役時代を振り返ってみると、「空前の大豊作」と呼ばれた1989年のドラフトで、野茂英雄(元近鉄ほか)、佐々木主浩(元大洋ほか)、潮崎哲也(元西武)らに混じって、オリックスの1位指名を勝ち取った有望選手だった。

 しかし調子の波が激しく、守備でも送球難があったことで、トレードマークのパンチパーマにちなんだ登録名「パンチ佐藤」に改名しても大成には至らず、5年目のオフに無念の戦力外通告を言い渡される。

 ただ、パンチ佐藤のタレント性を見抜いていた仰木彬監督は芸能界入りを助言。すると軽妙な語り口がウケて、スポーツバラエティー番組にひっぱりダコになるなど大成功。濃いキャラクターを生かして記憶に残った選手だった。

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