さあ一丁、ブワァーっと植木等だ!(2)1週間の睡眠時間は10時間 (1/2ページ)
コメディアンの小松政夫は、全国トップの売り上げを誇る車のセールスマンだった。現在の金額で月収100万円は下らなかったが、その収入を捨てて、大好きな植木等の付き人になった。昭和39年、植木とクレージーの人気が頂点に達していた頃である。
「テレビのレギュラーが4本に、主演の映画があって、日劇の公演もある。オヤジ(植木等)の1週間の睡眠時間は10時間で、徹夜、3時間、徹夜、徹夜、4時間、徹夜、3時間というようなサイクルだったね」
それでも植木のもとには仕事のオファーが絶えない。小松は、さすがに温厚な植木がキレた瞬間を見た。
「ちょうどナベプロの近くで映画のロケがあった日のこと。マネージャーが仕事のオファーを断りつつ、ノートを見て『あっ、この日の夜中1時から朝6時までなら空いてます』と言っちゃった。オヤジがツカツカと寄ってきて、誰かのスケジュール帳でマネージャーの頭をパチーンと叩いて『バカヤロー、そこは寝る時間だ!』って(笑)」
テレビの草創期であり、映画の観客動員も多い時代だった。植木は、その両方のメディアに君臨するスターとして、殺人的なスケジュールに追われてしまうことになる。
そしてついに体が悲鳴を上げ、昭和39年には過労で入院。それでも公開日が決まっている映画の撮影は容赦なく、植木は病院を抜け出して撮影に参加。
控え室の長椅子に体を横たえていると、プロデューサーたちの会話が聞こえた。
「植木がまた倒れたらどうする?」
「代わりを見つければいいさ」
植木等の代わりなど日本中どこを探してもいないだろうが、植木の胸に、ある覚悟が宿る。犬塚弘らメンバーの前で「自分たちに“もしものこと”があっても、周りはそんなもの」と言ったあと、宣言をする。
「俺たち、どんな仕事をして、どれだけ頑張ったか、それだけは覚えておこうよ」
植木自身は「無責任男」とは距離を置いているが、常に「植木等としての仕事」にはこだわりを持つようになった。
TBSの演出家だった砂田実は、局にとらわれず、植木とさまざまな場所で仕事をともにした。