御所に入るためゾウに称号?皇室も夢中になった江戸時代の珍獣ブーム (1/2ページ)

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御所に入るためゾウに称号?皇室も夢中になった江戸時代の珍獣ブーム

現代の私たちがレジャーで出かける先の定番のひとつに動物園があります。しかし、鎖国していた江戸時代の日本では、そうした珍しい動物を見られなかったのではないかと思う方も多いのではないでしょうか。

確かに日本は鎖国状態でしたが、中国やオランダなど限られた国との間にのみ国交がありました。そうした国を経由して日本には様々な珍獣が来ていました。中でも有名な動物であったゾウを紹介していきます。

秀吉、家康が見たのはアジアゾウ?

ゾウは、お釈迦様や普賢菩薩などの仏様とも縁のある動物だったので古くから人気があり、説話や絵巻物に描かれたり、寺社の彫刻になるほどでした。日本に生きたゾウがやって来た最古の記録は、応永15(1408)年6月22日に足利義持に献じられたと言われており、以降も他国の使者や貿易商が日本の有力者へゾウを献上しました。

戦国時代では大友宗麟に明から、豊臣秀吉にはルソン(フィリピン)のスペイン総督からゾウが献じられており、江戸幕府の初代将軍である徳川家康のもとには交趾(ベトナム)のゾウが送られたと記録されています。これらの国は東南アジアやその周辺を支配していたため、献上されたのはアジアゾウと言われています。

皇室も夢中になった、江戸期のゾウフィーバー

日本に来たゾウの中でも有名なのが、享保13年(1728)6月7日に広南(ベトナム)から渡来した雄と雌のゾウです。このゾウは8代将軍・徳川吉宗が、中国の貿易商に発注して日本まで招いたもの。海外の文物への関心が深かった吉宗ならではと言えるプロジェクトでした。

海をわたってきた2頭のゾウは長崎に到着しましたが、雌ゾウは上陸3ヶ月後に死んでしまい、今のような繁殖はできませんでした。残った雄ゾウはベトナム人の調教師と中国人の通訳に伴われ、長崎から陸路で江戸に向かいました。

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