プロレス解体新書 ROUND50 〈“超獣”相手に闘魂復活〉 新日マットにブロディ初参戦 (1/2ページ)

週刊実話

 1985年4月18日、新設された両国国技館における新日本プロレス初の大会が開催された。メインイベントでアントニオ猪木と対するは、新日初参戦の“超獣”ブルーザー・ブロディ。暗い話題の続いた新日に明るい兆しが見えた一方で、裏では多々問題も持ち上がっていた…。

 IWGP構想とタイガーマスクの登場で人気沸騰し、テレビ中継の視聴率は20%超えが当たり前だった80年代初頭の新日本プロレス。だが、その好況は長く続かなかった。
 1983年、第1回のIWGP決勝では、アントニオ猪木がハルク・ホーガンに失神KO負け。雪辱を期した第2回も長州力の乱入による不透明決着となり、世界統一の夢に向けられていたファンの期待は一気に冷めていった。
 また、もう一方の主役であるタイガーマスクが、猪木の事業投資に関わる金銭問題などを理由に団体を離れると、これを端緒にUWFやジャパンプロレスの旗揚げによる選手の大量離脱が相次いだ。
 さらに、全日本プロレスとの引き抜き合戦の結果、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンら猪木の好敵手が新日マットを去り、その代役たるべきアブドーラ・ザ・ブッチャーとの戦いは、どこか盛り上がりに欠けたまま'85年1月に最後のシングル対決を終えていた。
 「そんな新日のさえない状況を、メディアは“燃えない闘魂”などと揶揄しました」(スポーツ紙記者)

 そこに登場したのがブルーザー・ブロディである。
 「某新聞社の全日番記者がブロディの不満を聞きつけ、そのことを同僚の新日番記者に伝えると、即座に新日側が獲得に乗り出した。全日側もこれに気付いたようですが、ブロディの扱いに手を焼いていたこともあり、強くは引き止めなかったようです」(同)

 ハンセンとの超獣コンビで全日の頂点に立ち、多くの喝采を浴びてはいたが、ブロディ自身も団体側もそれぞれに不満を抱いていた。
 「ブロディにしてみれば長州やロード・ウォリアーズが、自分を差し置いてトップ扱いされるのが気に食わない。体の小さい長州やパワー一辺倒のウォリアーズを、自分よりも格下と見ていたためです。しかし、現実問題としてハンセンとのタッグ以外、ブロディ単独の集客力となると長州らに遠く及ばなかった。

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