【日本人が知らないニッポン】戦争と花火大会 夜空の彩りに込められた「慰霊のこころ」(静岡県静岡市) (1/3ページ)

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【日本人が知らないニッポン】戦争と花火大会 夜空の彩りに込められた「慰霊のこころ」(静岡県静岡市)


静岡県で最も有名な花火イベントと言えば、『安倍川花火大会』です。

これは太平洋戦争で犠牲になった人々の慰霊のために行われるイベントで、毎年約1万5,000発の花火が打ち上げられます。開催地は静岡県静岡市の安倍川。今年は7月29日(土)に開催予定です。

日本国内でも長い歴史を持つ花火イベントということもあり、毎年全国から多くの来客を集めています。

・静岡市も焦土に

静岡市が戦時中、アメリカ軍の空爆により未曾有の被害を被ったことは意外と知られていません。

戦争末期の空襲は熾烈を極め、全国の主要都市が焦土になりました。アメリカ軍はドイツの各都市にも大規模な空襲を行っていましたが、日本への攻撃の際には新型焼夷弾を使用しました。日本はヨーロッパよりも木造家屋が多かったからです。

後世にもよく知られているB29という爆撃機は、第二次世界大戦中は専ら太平洋戦線すなわち対日戦に集中投入されました。ヨーロッパは「陸づたいの戦い」ですが、太平洋は「海づたいの戦い」です。すると軍用機の性能には「航続距離の長さ」が求められます。水平線の向こうを目指す長距離爆撃機として、B29は最適な性能を誇っていたのです。

対する日本側は、まったくと言っていいほど迎撃態勢を整えていませんでした。第二次大戦時のイギリス軍は八木・宇田アンテナという、日本人の発明した装置を使い高度なレーダー監視システムを構築しました。その開発者である八木秀次博士、宇田新太郎博士は日本にいるにも関わらず、ガチガチの官僚主義に陥っていた軍は関心すら持ちません。

結局、日本の迎撃航空隊はB29の前に為す術なく敗れ、守るべき都市が灰燼と化しました。

1945年6月19日から翌20日にかけて、静岡市街地に投下された焼夷弾はじつに1万3,000発。西伊豆から駿河湾越しに真っ赤な炎を確認することができたそうですから、まさに地獄絵図と言うほかありません。

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