天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 安倍晋三・昭恵夫人(下) (1/2ページ)

週刊実話

 体調不良から平成19年9月、わずか1年で夫の安倍晋三が政権を投げ出すまでの間、昭恵は少なくとも「内助の功」にフル回転した。
 しばしば夫の選挙区〈山口4区〉に戻っては後援会との接触を欠かさず、一時は総裁選のライバルとなりかけて必ずしもソリが合わなかった同じ派閥の福田康夫(注・後に首相)に対し、福田夫人との接触を試みて“修復”へ向けての努力に精を出すなどもあった。

 しかし、安倍が首相の座を降りると、昭恵は抑えていたものが弾けるように一変した。歴代総理の誰もが言う「孤独感と重圧はなった者にしか分からない」が、当然、妻にも及び、本来が自由奔放な性格の昭恵の“地”が爆発したということのようであった。総理夫人が周囲の忠告をよそに東京・神田に居酒屋『UZU』を開店したのも、この時期である。なぜの“爆発”だったのか。安倍家の内情を知る政治部記者が言った。
 「一つは、安倍が再度の首相の座にチャレンジしたとき、夫人は猛反対だったと言われている。首相を辞めるとこれまで近寄っていた人が潮を引くようにいなくなり、極度の孤独感に陥って体調も優れなくなったことが大きかった。それでも安倍が再チャレンジの意思を伝えると、『それなら、これからは私の好きなようにさせて。私の行動に口を出さないで欲しい』と迫り、安倍もこれを“了承”したようだ。やがて、“政治家・安倍”の考え方がすべて正しいとは思えず、夫とは対極的な言動も辞さずとなっていったのです。元来が自由に育っただけに、自分の信念のままに動くことに大きな抵抗はなかったようだ」
 夫の足を引っ張ることにもなる「原発再稼働反対」「TPP反対」の発言も、こうした中で行われている。

 二つは、スピリチュアルな世界や神道に傾倒、自ら言う「私には神様から与えられた試練がある」として、「国、社会、弱者、世界平和のため」奔走することに直進したことがある。神道系の小学校開校を目論んだ森友学園・籠池家との“交流”もその一つと思われ、籠池夫人とのメールでも「祈っている」との表現が明らかになっており、これは昭恵に対し、結果的には夫の安倍のキモは冷やしたが、「性善説」との解釈になっている。

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