中世ヨーロッパでもっとも謎めいた種族、ピクト人に関する10の謎 (2/6ページ)

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・9. ピクト語


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 ベーダのイングランド教会史によれば、8世紀イギリスには、ケルト語、英語、ラテン語、ゲール語、ピクト語の5言語が存在したという。

 またアドムナンはピクト語の翻訳者が必要であったことを明らかにしている。彼らは文字を残していないため、その存在は地名、人名、岩の彫刻からしか知ることができない。

 

 一説によると、ピクト語はケルト語よりもバスク語に近い青銅器時代の言葉だったという。またPケルト語というケルト語(現在でもウェールズに残る)と同系統の言語を話したという説もある。

 この説を支持する専門家は、スコットランド北部に残るピクト語の地名は明らかにインド・ヨーロッパ語族で、他のケルト語と関連があることを指摘する。他にもアイルランド人によって持ち込まれたQケルト語を話したという見解もある。・8. 母系継承


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 通説ではピクトは女系継承であったされる。ベーダは教会史の中で、スキタイから海を渡りブリテンに到着したピクト人は妻帯しておらず、アイルランド系スコットランド人の妻を娶らせてもらえるよう懇願したと記している。そこでスコットランド人はある条件を突きつけた。父方ではなく、母方から王を選ぶという条件だ。

 14世紀に書かれたピクト年代記(Pictish Chronicle)は、彼らの王と在位の期間を記しているが、7世紀後半以前に王の息子が王位を継承した記録はない。

 しかし王は父方の親族の名で同定されている。このためベーダの記述は、ピクト人の土地でアイルランド人の王権を正当化する策略なのではないかと疑う説もある。
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