“伝説の浅草芸人”急死で、愛弟子たけしがしたこととは? (1/3ページ)

日刊大衆

“伝説の浅草芸人”急死で、愛弟子たけしがしたこととは?

 80年代の漫才ブームを牽引した伝説の漫才コンビ「ツービート」。放送コードを無視した過激すぎる毒舌ネタを畳み掛け、あっと言う間に日本一の売れっ子になったのは、ご存知の通り。ただ、たけし本人は漫才師になる気はまったくなかったという。ツービート結成秘話が詳述されている話題の書『もうひとつの浅草キッド』(ビートきよし著、双葉文庫、660円税込、8月2日発売)から真相を探る――。

『ビートたけしが漫才師になるのを「嫌がった理由」が泣ける!!【前編】』はコチラから

【前編のあらすじ】浅草のストリップ劇場フランス座で、幕間のコントを演じ芸歴をスタートしたビートたけし。一方、先に芸人の世界に身を投じ、斜陽産業だったストリップに見切りをつけ、漫才師として新境地を探っていた相方のビートきよし。フランス座を離れ「二郎次郎」なるコンビを組んで活動を開始するもコンビ解消したきよしは、新たな相方としてたけしを口説く。ところが、たけしはフランス座にこだわり、きよしの誘いを断り続けていた。たけしが漫才師転向を拒む理由、それは師匠である“伝説の浅草芸人”深見千三郎を悲しませたくないからだった――。

深見千三郎
深見千三郎

「あんなものは芸じゃない」
軽演劇を得意とした深見は、漫才を認めていなかった。たけしが漫才師になるのを躊躇していたのは、“師匠が認めていない芸だから”という事情もあったかもしれない。ただそれよりも、「オイラがフランス座を辞めたら、師匠が困るから……」というのが最大の理由だったはずだ。深見はフランス座の座長を務めていた。

 そんなたけしの気持ちをきよしも理解していたのだろう。焦ることなく、持ち前の人懐っこさと粘り強さで足繁くフランス座に通い、たけしを口説き続けた。

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