ヒトと同様にクジラにも存在する鯨供養(法会・お墓・位牌・過去帳) (1/7ページ)

心に残る家族葬

ヒトと同様にクジラにも存在する鯨供養(法会・お墓・位牌・過去帳)

1980年代前後から反捕鯨団体・グリーンピースの活動が激化した。それに突き動かされる形で国際捕鯨委員会は1982年に「商業捕鯨モラトリアム(一時停止)」を採択することとなる。日本政府はこれに抗議したが、米国200海里水域における日本の漁業を認めないという圧力を受けたことから、やむなく商業捕鯨を停止し、今日に至っている。それから35年を経た現在、日本人にとっての「鯨」のイメージは、沖縄やハワイなどでのホエールウォッチングで目にする、大海原を悠々と泳ぐ偉大な自然界のシンボル、或いは癒しをもたらすものと変化している状況と言っても言い過ぎではないだろう。

■非常に身近な存在だった鯨

しかし、主に戦後の日本においては、鯨と言えば、団塊世代のシニアが子ども時代の思い出として語る、学校給食で出された鯨の竜田揚げ、南蛮漬け、大和煮など。家庭ではカレーライスの具、酒のつまみの鯨ベーコン、魚のように刺身として、ショウガ醤油と一緒に食べていた。
また、脂肪分がマーガリンの材料となったり、ソーセージやハムなどの加工肉の原料となったりもした。また、化学薬品やプラスチックなどの石油製品が普及する前は、血を軟膏に、鯨の腸内の結石を「龍涎香(りゅうぜんこう)」と呼ばれる高級な香料に、歯を笄(こうがい、髪飾りの一種)や櫛(くし)に、骨を畑の肥料に、皮を膠に、体の筋を弓弦などの武具に、鯨油を水田の稲の害虫駆除に利用したりもしていた。面白いところでは、今日でも、日本の伝統芸能のひとつである人形浄瑠璃の人形を操るのに、ヒゲクジラの髭が使われている。

このように鯨は捨てるところがほとんどなく、「鯨を取れば一村潤う」、「鯨一頭捕れば七浦賑わう」などといった当時のことわざ通り、鯨は体の全部位が人間にとって「恵み」「富」をもたらすものだった。しかも鯨は、自らの餌を求めて、群泳するイワシなどを追いかける。すると、鯨から逃げようとする大量の魚が、人が住む沿岸部に向かってくる。漁師はそれを釣り上げる。このように鯨は、間接的にも人間に大漁をもたらしていた。

■鯨と人の歴史は古い

日本における鯨との関わりは古代にさかのぼる。

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