【日本人が知らないニッポン】「武士の時代」の残光を求める全国周回旅行のすゝめ (1/3ページ)
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地球上で日本にしか存在しない「武士」と呼ばれる人々。
その武士は鎌倉幕府の成立により「独自の政権を作る」という念願を達成し、400年後の関ヶ原で「発展の終わり」を迎えます。その後、江戸時代に突入してからの武士は官僚化し、本来の存在意義である「自力で所領を防衛する」ということを忘れてしまいました。
すなわち武士にとっての成長期とは、12世紀末から16世紀末までの間だったということです。
この間、武士は日本史に様々なエッセンスを与え続けました。
・武家政権が起こした「革命」

「穢れた存在」と見なされていた武士が京都の公家から政権運営を奪取したのは、12世紀末頃。源頼朝の鎌倉幕府がその始まりです。
もっとも、源頼朝以前に武士は公家から政権を勝ち取ってはいました。平清盛による武家政治です。ですがそれは、武士であるはずの平家が貴族と同質化するというものに過ぎませんでした。武士が求めていたのは「武士の武士による武士のための政治」です。
そういう意味で、源頼朝は武士の念願を成就させたのでした。
史上初の武家政権は、あらゆるものを変えました。
まず、宗教。武家とはそもそも農民で、農民とは一般大衆です。そしてそれまで金持ちの公家が独占していた仏教を、一気に大衆化させました。
10円玉に刻まれている平等院鳳凰堂は、もともとは浄土教の寺院。浄土教とは観念主義ですから、「極楽浄土を現世に再現する」ということが求められます。ということは、広い土地にいくつも立派な建物を作るということですから、浄土教は自然と「金持ちの宗教」になっていきます。
それが平安時代末期から鎌倉時代に差しかかる時期、「南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に行ける」という思想が生まれます。それが浄土宗、浄土真宗です。
武士の間で、浄土宗が大流行したことは言うまでもありません。