元日本代表主将・菊谷が引退決意。「エディーさんに人生狂わされた」(笑) (2/4ページ)

ラグビーリパブリック

 日本人離れした体格を生かしたアタック力で大学時代から7人制代表として活躍。2005年のスペイン戦で15人制代表での初キャップも獲得した。

 緊急登板するかたちで2007年ワールドカップ フランス大会で指揮を執ったジョン・カーワンHC体制が2011年ワールドカップに向けて再スタートすることになった2008年のアメリカ代表戦(11月)で初めて日本代表主将に指名され、以降約3年間、「サー・ジョン・ジェイムズ・パトリック(=カーワン元HC)からのプレッシャーに比べれば、エディーさんの要求は大したことない」と、本人が笑いながら半ば冗談でそう論評する鬼指揮官の下、ジャパンのスキッパーを務め上げた。

「みんながテンパっている時にちょっとリラックスさせるように『もっと楽しもうや』という感じで、硬くなっているのを緩くするのが僕のスタイル。ピシッとさせるのはJKがいるので、僕は逆でいいかな、と」

 2011年ワールドカップを前に、菊谷は日本代表主将としての役割をそう語っていたが、例えば前任者の箕内拓郎(2003年および2007年ワールドカップでの日本代表主将)、後任者の廣瀬俊朗、リーチ マイケルあたりと比較しても、いわゆる「キャプテンらしいキャプテン」ではなかったのは確かだろう。悲壮感漂う――という雰囲気とは正直無縁だが、その一方でワールドカップ ニュージーランド大会へ向けた2011年シーズン、日本代表のテストマッチ全13試合で先発出場、しかも本番のNZ戦の後半19分に退いた以外はフル出場を果たすという離れ業を成し遂げてもいる。

 トヨタ自動車時代、フィジカルバトルとしては一番のライバルだった東芝に対して「笑いながらタックルにくる人たち」と称したことのある菊谷だが、当の本人こそまさしくそのタイプ。

「元日本代表主将・菊谷が引退決意。「エディーさんに人生狂わされた」(笑)」のページです。デイリーニュースオンラインは、スポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る