あやかりたいという理由で墓石を削って持っていくこととその遺族の思い (4/5ページ)

心に残る家族葬



■赤木圭一郎の遺族はどのように感じていたか


しかし、こうした熱烈なファンを迎え入れる側の遺族の気持ちはどうだったのだろう。赤木の姉・田代民枝によると、母親はファンの人たちを追い返すのは悪いと思い、親切に家に上げていた。その結果、過労で倒れてしまった。しかしファンはおかまいなしに、母親が臥せっているにもかかわらず、勝手に家の庭に入り込んできた。勝手に入り込んでくるのは家ばかりではなかった。赤木の墓にも及んだ。海を愛した赤木にちなんでか、「海水」と書いた水桶が、墓石が据えられる前に立てられていた白木の墓標のそばに置いてある。ファンは水の代わりに海水を注ぐので、墓標は赤茶けた色に変化してしまった。その木の墓標の前に据えられている御影石の台を、ファンが削り取ってしまう。後に完成した墓石も、削り取られて持って行かれる。玉砂利もだ。赤木の命日に家族が墓参りに行くと、ファンの人々が家族を珍しそうに見る。握手して下さい、サインして下さいとせがんでくる。「私たちは芸能人ではありません」と断り続けた。そのため、もともと赤木の先祖とゆかりがある薩摩藩士が多く眠る、杉並の曹洞宗・大円寺(だいえんじ)から墓を移す羽目になったという。赤木の墓は現在、静岡県の富士山裾野にある大石寺(たいせきじ)、そして神奈川県の鎌倉材木座(ざいもくざ)霊園内にある。田代は、「弟を偶像化してくださるのはありがたいことですが、そのために家族は被害者となりました。そっとしておいてください、とお願いするのみです」とインタビューを締めくくっていた。

■最後に…

熱狂的なファンとしては、赤木の実家に押しかけて、「トニー」の思い出にふけりたい。遺族の都合を考えることなく、プレゼントのみならず、大量の千羽鶴と「冥福祈願」に贈りたい。さらには、最初に述べた鼠小僧次郎吉や国定忠治、日本のかつての「軍神」たち同様、赤木の墓石を削り取って、「お守り」にして、常に持ち歩いていたい。
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