天才テリー伊藤対談「立川志らく」(2)才能が出る時ってトントン拍子だね (1/2ページ)

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天才テリー伊藤対談「立川志らく」(2)才能が出る時ってトントン拍子だね

テリー 最初に落語に触れたのは、いつですか。

志らく 父親の影響で、小学生の時からです。ただ、その頃好きな名人はみんな亡くなっていましたし、同時に映画も好きでしたから、そもそも落語家になりたいとも思ってなくて。

テリー あらら(笑)。それがまた、どうして?

志らく たまたま大学生の時に、馬生師匠が亡くなる前の高座を観たんです。いちばん前の真ん中の席だったんですが、まあ声は出ないし、途中で絶句しちゃうしで、落語としてはボロボロだったんです。でも、なぜかすごくカッコよくって、感動したんです。「もう、この人の弟子になろう!」って。でも、その10日後に馬生師匠は亡くなられてしまって。

テリー すごい、そんな状況でも高座に上がっていたんですね。

志らく その後、寄席に行ったら談志が落語をやらずに、馬生師匠の思い出を語ってたんです。それがまたカッコよかったんですよ。客に「落語やれ!」ってヤジられても、「馬生さん死んじゃったのに、できねえよ」って、悲しみにあふれててね。それが、強烈な印象として残ったんです。

テリー それまで、談志師匠のことはどう思われていたんですか?

志らく 全然好きじゃなかったですね。落語家といっても、当時の談志はあまり落語をやっていなかったし、「どうせ、タレント議員だろ」なんて思ってて、まったく眼中になかったんですよ(笑)。

テリー アハハハハ! そこからのスタートなんだ。

志らく でも、それからあらためて談志の落語を聞きに行くと、本気でやる時はすごい落語を見せてくれて、自分が追い求めていた名人と同じ空気を出していたんですね。それで弟子になろうと、大学1年の時に日大芸術学部の落語研究会に入るんですが、4年の夏合宿に高田文夫先生が遊びに来たんですよ。

「天才テリー伊藤対談「立川志らく」(2)才能が出る時ってトントン拍子だね」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2017年 12/7号立川志らく立川談志落語家テリー伊藤エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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