大震災と空襲の被害も免れる。地域住民に愛される横浜のご当地神社「水天宮平沼神社」 (2/3ページ)
そのことを平沼新田の開発者である5代目・平沼九兵衛に伝えると、平沼氏は「守護神のないこの地に祀れという、神様からの啓示であろう」と言い、平沼新田の神様としてこの祠を祀ることにしました。
引き上げられた小さな祠の中には、福岡県久留米市の「水天宮」のお札が祀られていたため、この神社は「横浜の水天宮」と呼ばれるようになりました。
明治時代に入り、神社の「社格」制度ができると、この神社は「平沼神社」と改称されました。しかしそれから現代に至るまで、多くの人たちから「水天宮さま」と親しまれ、いつしか「水天宮平沼神社」と呼ばれるようになったのでした。
現在では本殿の他に、ゆるキャラのようなかわいらしい「安産・子育て河童」や「稲荷神社」などの境内社もいくつか鎮座しています。
子育て河童
水天さん
大震災と空襲の被害を免れた神社は、初詣の名所にこのことから分かるように、この神社は「水天宮」の正式な分社ではありません。しかし、水難除や火難除などに霊験あらたかな天御中主神(あめのみなかぬし)と、「壇ノ浦の戦い」で命を落とした幼い安徳天皇をお祀りする「水天宮」のご利益は、この神社にも同じように働いているようです。