再生紙がその昔「還魂紙(かんこんし)」と呼ばれていた理由と当時の紙事情 (2/4ページ)
それが日本においては、中国での現実的な意味のみならず、故人ゆかりの紙を再利用し、経典を写経することで、故人への供養、そして仏への信仰を強くする風習として長く定着するようになったという。
■日本霊異記に登場する紙の再利用の話
例えば『日本霊異記』(822年頃)の第38話では、延暦6(787)年9月に、紙の再利用の話が登場する。僧になったものの俗生活を送っていた景戒(きょうかい、生没年不明)が貧しい暮らしをしていたところ、ある日の夢に、沙彌
鏡日という乞食僧が現れた。景戒が米を鏡日に施したところ、鏡日が書物を取り出して、それを写し取れと言った。見ればとてもすばらしい経典集だった。しかし貧しい景戒には紙がなかった。どうしたらいいかと鏡日に尋ねたところ、この紙を使いなさいと、反故紙を渡した。そして鏡日は、今から別のところに乞食行脚に行くが、自分が戻ってくるまでに経典を書き写しておきなさいと言い残して、去って行った。
この夢の意味として、沙彌鏡日という乞食僧は実は観音菩薩で、迷い苦しんでいる人々を救うために現れたもの。写経に反故紙を使うことは、もともと善の素因である仏性があっても、表面には現れてこないが、善を積むことによって後に悟りの境地に至るようになることを表しているとして、紙の再利用が仏道を極めることにつながると説かれている。
■日本三代実録にも登場する還魂紙
また、『日本三代実録』(901年)、『今鏡』(1170年頃)、『十訓抄』(1252年)、『吾妻鏡』(1300年頃)などに、清和天皇(850〜881)の女御・藤原多美子(?〜886)が行ったとされる、「還魂紙」のエピソードがある。仏門に入っていた天皇が崩御した後、それに従って尼になっていた多美子は悲しみの中、天皇が残した多くの手紙類を集め、それを再び漉き返し、法華経など多くの経文を写経した。その行為は生前受けた天皇からの恩徳に報い、手厚く供養すること、自身の仏道への誓いを強く立てたものであったため、大乗戒を受けたという。