再生紙がその昔「還魂紙(かんこんし)」と呼ばれていた理由と当時の紙事情 (1/4ページ)

心に残る家族葬

再生紙がその昔「還魂紙(かんこんし)」と呼ばれていた理由と当時の紙事情

デジタル化が進み、昔ほど無駄遣いが減ったとはいえ、依然として我々は当たり前に大量の「紙」を消費している。しかし、環境問題が今日ほど深刻なものとして語られるようになるはるか以前から、日本では供養や仏道修行と結びつけられる形で、紙の再利用が行われていた。

■紙の起源や伝来時期

そもそも日本における「紙」こと「和紙」とは、植物繊維を何らかの方法で分解し、水に分散させた後、簀(すのこ)または網状のもので漉いて、乾燥させたものである。日本における「紙」の始まりは、『日本書紀』の推古天皇18年(610年)の条に、「高麗王、僧曇徴(どんちょう)が絵の具・墨・紙・碾磑(てんがい、石臼)を作った。碾磑はこの時にはじまるか」という記述がある。このことから、碾磑以外の3品は既に存在していたこと。そして朝鮮半島における造紙が、仏教が伝来した4世紀後半に始まったと言われていることから、そこで発達した技術が、曇徴来日前後に日本にも伝わっていたと考えられている。そしてその原料は、中国の前漢時代同様、着古しの麻布を短く切ったものだった。しかし日本においては、麻は貴重品で、ほとんど流通していなかったため、容易に手に入る楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)を用いるようになったのである。

■「還魂紙」と呼ばれるようになった理由

また原料の入手のみならず、製作に手間がかかることから、当時の日本では今日の比でなく紙は貴重品だった。それゆえ、紙を使う人物の地位によって、使うことができる紙の種類が細かく決められていた。それに加えて現在同様、紙の再利用、すなわち、使い古しの反故(ほご)紙を細かくバラバラにした後、一旦水に晒して液状にし、それを再び漉き直した「漉き返し」が行われていた。しかもそのような、墨の色がうっすらと残る紙に対して「還魂紙(かんこんし)」とも名づけられていた。

■中国と日本における紙の再利用の違い

もともと紙の再利用は中国でも行われていた。その際、「魂」が還ってくる、生まれ変わりといった本来の語義から離れ、当時の官吏登用試験であった科挙に1度は落第したものの、再考試の結果、合格した人物を「還魂秀才」と呼んでいたことから、1度用いたものを再利用することに用いた言葉だった。

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