殺害された記者が伝えたかった「政界とマフィア」の癒着

まいじつ

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スロバキアで著名なジャーナリストのヤン・クツィアク氏が、2月25日に婚約者の女性と共に自宅で銃殺された。この殺人事件は首都ブラチスラバの中央政界を直撃し、ロベルト・フィツォ首相は3月15日、引責辞任に追い込まれている。

「2月26日にフィツォ首相は、犯人逮捕につながる情報提供者に100万ユーロの報奨金を提供すると発表し、ティボア・ガスパール警察庁長官は、『事件はクツィアクさんの取材活動と密接な関係がある』との見方を明らかにしました。その2日後には、マレク・マダリック文化相が、『ジャーナリストが殺害されたことに文化相として責任を負う』と辞意を表明。2月26日から3月に入り、ジャーナリスト殺人事件の全容解明を求めるデモ集会が全土で展開され、デモ参加者はフィツォ政権の即解散、総選挙の実施を訴えたのです。その結果、3月12日にはクツィアク記者が狙われていたことを知りながら対応しなかったとして、辞任を要求されてきたロベルト・カリナク内相が事件発生2週間後に辞任を表明しました」(欧州駐在日本人ジャーナリスト)

ブラチスラバでは、3月9日に約3万人の国民によるデモ集会が開催され、マフィアとの癒着が噂されている政府関係者を批判し、事件の全容解明のため独立機関の設置を求めた。

クツィアク氏が書いていた記事には…

「閣僚の辞任だけで、事件の全容解明はあまり進んでいません。殺されたクツィアク記者はドイツ・スイス系のニュースサイトに所属し、書きかけていた記事『スロバキアのイタリア・マフィア』によると、スロバキア東部に拠点を置くイタリア系マフィアがスロバキア政府の上層部に食い込み、欧州連合(EU)の補助金を不正利用していた疑惑があると指摘しています。また、フィツォ首相の個人秘書マリア・トロスコバ女史は以前、イタリアの会社に勤務し、マフィアと関係があったという衝撃的な内容です」(同・ジャーナリスト)

1988年3月25日、ブラチスラバの民族劇場前で“宗教の自由”を求めたキリスト信者たちの『ろうそく集会』が開催されたが、警察隊によって鎮圧され、多数の信者たちが拘束された。クツィアク記者の射殺事件は、30年前のこのろうそく集会と同じように、スロバキア国民に大きな衝撃と憤りを与えている。

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