平安時代の雑学【3】平安貴族の夜宴ディナーはゴージャスだけどもややこしや… (2/2ページ)

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平安貴族の宴会は、主に内裏(皇居)ないしは大臣の邸で開かれていました。前者は二宮大饗(にぐうのだいきょう)と呼ばれる宴で、皇后や中宮と言ったお后ないしは東宮(皇太子)が、拝謁に参じた人々を招いて正月2日に主催したものです。

後者は大臣大饗(だいじんのだいきょう)で、大まかに分けると大臣が就任した儀式として開く“任大臣大饗”とお正月に開く“正月大饗”の二つがあります。この場合は朝廷から搗栗(※1)や蘇(※2)などお祝いのお菓子類を頂くことがありました。

※1“かちぐり”と読む。乾燥させた栗を臼で搗いた、縁起の良い食べ物。
※2“そ”と読む。乳製品の一種で滋養食。

日本風に大陸風、果ては来客の格式…ややこしかった平安の晩餐

宴会の名称までも細かく規則を決めていることから想像がつくかもしれませんが、平安貴族の宴では晩餐も儀式的なものでした。

平安時代は国風文化(我が国独特の文化)が発展していましたが、唐(中国)への憧れは残っていたらしく、“台盤”と言うテーブル風の食卓に全ての料理を乗せ、スプーンでご飯を食べるなど、大陸風文化を交えた宴もあったと言います。

また、しきたりが重んじられていたため、招待客の格に応じてもてなしの内容も変わりました。大臣大饗では招待客が皇族など高位であれば“尊者”と申し上げて28種もの料理を出しておもてなししました。そうした身分の客人に次ぐ地位、例えば三位以上であれば料理は20種になり、格下であればさらに少なくなり、主人は最も少ない品数になったそうです。

このように、来客の地位に応じたもてなしの内容が変わる宴は、当然現代では好ましいものとは扱われていません。しかし、当時はしきたりと秩序が重要視され、高貴(=大事)な来客を丁重にもてなすことが重んじられたのも、忘れてはならない事と言えます。

さて、次項からは肝心の料理について紹介させていただきます。

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