平安時代の雑学【3】平安貴族の夜宴ディナーはゴージャスだけどもややこしや…

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平安時代の雑学【3】平安貴族の夜宴ディナーはゴージャスだけどもややこしや…

平安時代の雑学、今回は3回目。これまでの記事はこちら。

平安時代の雑学【1】この世の春を謳歌した平安貴族、その生活ぶりはなかなかカオス

平安時代の雑学【2】罰ゲームもあった?平安貴族の、雅を重んじたロマンティックな宴を紹介

前回は自然の美を愛でる平安貴族の宴について紹介しましたが、本項では宴会の楽しみとも言える酒宴にまつわる雑学を紹介致します。平安時代の中心地であった京都の食事と言えば、風雅な懐石料理や京菓子、素朴だが食材の味を生かしたおばんざいで有名ですが、この時代の宴会料理はどんなものだったのでしょうか。

地位や場所で名称が変わった?やっぱり儀礼としきたりが欠かせない平安貴族の宴

現在、皇室ないしは政府主催の晩餐会が開かれた時に様々な儀式や格式が重要視されることは雑誌やテレビでお目にかかることがありますが、平安貴族の宴にもそうした細かい規律がありました。

平安貴族の宴会は、主に内裏(皇居)ないしは大臣の邸で開かれていました。前者は二宮大饗(にぐうのだいきょう)と呼ばれる宴で、皇后や中宮と言ったお后ないしは東宮(皇太子)が、拝謁に参じた人々を招いて正月2日に主催したものです。

後者は大臣大饗(だいじんのだいきょう)で、大まかに分けると大臣が就任した儀式として開く“任大臣大饗”とお正月に開く“正月大饗”の二つがあります。この場合は朝廷から搗栗(※1)や蘇(※2)などお祝いのお菓子類を頂くことがありました。

※1“かちぐり”と読む。乾燥させた栗を臼で搗いた、縁起の良い食べ物。
※2“そ”と読む。乳製品の一種で滋養食。

日本風に大陸風、果ては来客の格式…ややこしかった平安の晩餐

宴会の名称までも細かく規則を決めていることから想像がつくかもしれませんが、平安貴族の宴では晩餐も儀式的なものでした。

平安時代は国風文化(我が国独特の文化)が発展していましたが、唐(中国)への憧れは残っていたらしく、“台盤”と言うテーブル風の食卓に全ての料理を乗せ、スプーンでご飯を食べるなど、大陸風文化を交えた宴もあったと言います。

また、しきたりが重んじられていたため、招待客の格に応じてもてなしの内容も変わりました。大臣大饗では招待客が皇族など高位であれば“尊者”と申し上げて28種もの料理を出しておもてなししました。そうした身分の客人に次ぐ地位、例えば三位以上であれば料理は20種になり、格下であればさらに少なくなり、主人は最も少ない品数になったそうです。

このように、来客の地位に応じたもてなしの内容が変わる宴は、当然現代では好ましいものとは扱われていません。しかし、当時はしきたりと秩序が重要視され、高貴(=大事)な来客を丁重にもてなすことが重んじられたのも、忘れてはならない事と言えます。

さて、次項からは肝心の料理について紹介させていただきます。

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