天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 村山富市・ヨシヱ夫人(上) (2/2ページ)
閉店後も帳簿づけやら何やらで、自宅に戻るのは毎晩8時、9時だったと言います。やがて、村山は市議から県議、そして代議士になるわけですが、代議士夫人なってもこれを続けていた。県庁では、『選挙になると食堂のご飯の盛りがよくなる』との冗談話もありました。
一方で、『代議士の奥さんがなぜそんなに働くのか』という声も出ていたが、夫人の中には政治家はいつ落選して食えなくなるかも知れない。どんな状態になっても、“銃後”は自分で守るとの信念があったともっぱらだった。結局、30年そんな生活を守った。地元で夫人を悪く言う人は、一人として見ませんでした」
ヨシヱ62歳、無理がたたってか腰の病である脊椎管狭窄症を発症して手術。ここでようやく食堂経営から手を引いたということだった。村山政権発足の8年前である。同時に、元々、選挙でも前面に出ることがなかったヨシヱは、腰の病を経てから完全に「政治」からは離れた。その一方で、首相になって「ファーストレディー」役をまっとうしたのが、夫妻の次女・由利であった。短大助教授のもとに嫁してからも、村山がのちに政界引退するまで、公設第一秘書として外遊の同行なども含め公私に渡って村山を支えたのであった。
首相になった村山は、官邸内にある公邸暮らしをすることになった。いまは、官邸と公邸は別棟になっている。当時の公邸は11DKあったが、このだだっ広い部屋の中で村山は単身赴任のオトーサンよろしくの生活を送っていたのである。当時を取材した元政治部記者のこんな秘話がある。
「村山は公邸暮らしの初日、スーツケース一つと布団だけを持ち込んできた。結局、公邸入りして1カ月後、首相としての超多忙のスケジュールに加えて高齢、何かと不自由がつきまとうということで娘さん(次女の由利)が同居するようになった。娘さんは、当時の新聞のインタビューでこう答えています。『忙しいこともあって、普段から服装などには無頓着な父が、ますます無頓着になっていくようです。外遊中でも、私が下着やスーツを前日に用意していても同じものを着て出たり、夕食会用のアイロンをあててあるポケットチーフは忘れるは、同様のネクタイを朝から締めていたりと…』と」
それでも村山は、大分に住む病身のヨシヱのもとに1日1回の電話をすることを忘れることがなかった。無類の愛妻家だったのである。しかし、政権は間もなく“事件”の続発で大揺れとなるのだった。
=敬省略=
(この項つづく)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。