百人一首に選ばれた人物の傾向。なぜこの人が百人一首に選ばれて、あの人が選外なの? (1/3ページ)

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百人一首に選ばれた人物の傾向。なぜこの人が百人一首に選ばれて、あの人が選外なの?

なぜこの人が百人一首に選ばれて、この人が選外なの?

百人一首は、その名の通り奈良時代から鎌倉時代までの百人の作者の歌が、1人につき1首ずつ選ばれた歌集です。その中には小野小町・在原業平・西行などの名高い歌人や、紫式部・道綱母・清少納言などの優れた文学作品の作者が名を連ねています。

しかし中には、猿丸大夫のような実在したかどうか分からない人物や、蝉丸のように存在こそしたものの詳細が全く不明な人物、そして「なぜこの人(だけ)が敢えて選ばれたの?」と不思議になるような人物が、何人も選ばれています。

その一方で「え?あの人は?」というほど意外な人物が選ばれていません。

今回は、「百人一首」に採り上げられた意外な人物と、その一方で採り上げられなかった意外な人物に注目してみましょう。

権力者の夫や義弟も、皇后の娘も選ばれなかったのに・・・儀同三司母

忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな

第54番目のこの歌の作者・儀同三司母は、本名・高階貴子(たかしなのたかこ/きし)

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