百人一首に選ばれた人物の傾向。なぜこの人が百人一首に選ばれて、あの人が選外なの? (2/3ページ)
この歌の詞書には「中関白(藤原道隆)かよひそめはべりけるころ」とありますが、彼女は関白・藤原道隆の正室で、皇后定子や兄の伊周・隆家兄弟の生母だった女性なのです。
(画像出典:Wikipedia/高階貴子)
「儀同三司」というのは、儀礼が「三司」つまり太政大臣・左大臣・右大臣と同じであるということです。息子の伊周が内大臣になったことから、彼の母という意味でこう呼ばれました。
皇后定子に仕えた清少納言は、『枕草子』の中に
「それなりの家の娘さんなどは、宮仕えに出て世の中への見聞を深めるべき」
という内容を書き残しています。
彼女がそう考えるようになったのは、宮仕えがきっかけで道隆と出会った儀同三司母の影響が大きかったようです。
その一方で、彼女の夫である道隆や、その後最高権力者となる義弟の道長、そして子供の定子や伊周の歌も選ばれていません。
幕府を開いた父や、平氏打倒で活躍した叔父は選外・・・鎌倉右大臣こと源実朝世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも
第93番は、鎌倉幕府の3代将軍である源実朝の歌です。彼の父は鎌倉幕府を開き、大河ドラマなどにもよく取り上げられる源頼朝、母は「尼将軍」と呼ばれた北条政子です。征夷大将軍就任後の建保6(1218)年に、武士としては初めて右大臣に任じられたことから、「鎌倉右大臣」とも呼ばれました。
