【World Deaf Rugby 7's】クワイエット・ジャパン3位に届かずも立派に戦う。
土田将弥の力強いキャリー。ウェールズB戦で2トライをあげる。後ろは倉津圭太。東海大翔洋高校出身のSH。この大会ではSOでもチームに貢献した。
怪我から復帰した大塚主将は、大分雄城台高校でも主将を務めた。フィールドでも円陣でもチームを力強く鼓舞してきた。フィジーB戦で最後のトライをあげた蛇目直人(40)は堺バーバーリアンズ所属。「大会前半年間、これまでのラグビー人生で一番トレーニングしました」落合孝幸監督(左)は2002年世界大会では主将を務めた。大学生の頃にデフラグビーと出会い、20年以上活動をリードしてきた。ワールド・デフラグビー・セブンズ(World Deaf Rugby 7's)が終わった。
決勝ラウンドは4月26日におこなわれ、予選3勝3敗でシード権を得た日本は準々決勝からの登場。相手は、予選で競り勝ったウエールズ・バーバリアンズ(以下ウェールズB)だった。
シドニー郊外デーシービル、デイビッド・フィリップス・フィールドに現われた選手たちは緊張の面持ちだった。このフィールドの隣には、スーパーラグビー、ワラターズの練習グランドがあり、イズラエル・フォラウをはじめ、豪州代表のスターたちが汗を流している。
予選ラウンド時はラグビーファンとして彼らの写真を撮りに行く日本の選手もいたが、この日は自分たちの戦いにのみ集中していた。
予選ラウンド6試合で日本が奪ったトライは9。このうち66パーセントにあたる6トライはスクラム、ラインアウトなど、セットピースが起点だった(セットでのターンオーバー3も含む)。
一方、失トライの65パーセントは、キックカウンターやターンオーバーなどのアンストラクチャーが起点となっていた。アタックに関してはクワイエット・ジャパンが目指してきた形がスタッツに表われた。
自陣でペナルティを得てもクイックでは攻めず、タッチキックで敵陣でのラインアウトを獲得。そこから準備してきたアタックでトライを奪う。
失トライは中途半端なキックや反則が原因となった。「これらを減らし、セットピースの回数を増やすことが勝利への近道だ」
前日のミーティングでそう確認して戦いに挑んだ。
強風の中でおこなわれた試合は、内容も荒れた展開になった。
先制トライはウエールズB。しかしその後、ペナルティを連発した。前半6分には2人目の一時退場者を出し、日本は敵陣でのクイックリスタートからトライを奪う(5-7でハーフタイム)。
後半も日本の優勢かと思われたが、途中出場の豪州選手2人(大会規定により、出場選手が足りなければ、事前登録の上で他国の選手を借りることが認められている。ただし、日本側には知らされていなかった)の活躍により、ウエールズBが2トライを奪取。そのままノーサイドとなった(5-17)。
しかし思わぬことが起きた。日本側の抗議により、加わったオーストラリア選手2人のうち1人は事前登録とは異なる選手だったことが判明したのだ。
協議の末、再試合をおこなうことになった。
クワイエット・ジャパンは、一度は負けた試合から多くを学んだ。
自滅と言える戦いは、予想外の選手が入ってきたことで混乱し、事前のプランとは異なる強引なアタックを繰り返したからだ。ミスを連発した。
選手たちは、ゲームプランを遂行し、自分たちの強みを出す重要性を学んだ。
再試合は1時間後にキックオフとなった。
開始1分、ハーフウェイ付近のスクラムからボールを受けた倉津圭太が抜け出し、土田将弥ヘパス。今大会チームトライ王の土田は60メートルを走り切ってトライを決めた。
これに対しウエールズBは連続攻撃でゴールラインに迫ると、日本がオフサイド。クイックリスタートからトライを奪い、ハーフタイムを同点で迎えた(5-5)。
後半、大塚貴之主将が投入された。初日の怪我からの復帰である。
後半1分、その大塚がジャッカルでペナルティを奪った。事前の分析で、ウエールズBはラックへの寄りが遅いことを確認していた。経験値の高い大塚が、それをすぐに実践した形となった。
これで勢いが出た。後半は終始日本のペース。後半3分、中央で得たペナルティから、用意してきたサインプレーで再び土田がトライ。準決勝進出を決めた(10-5)。
次の対戦相手はイングランドだった。予選ラウンドでは 0-29で完敗している相手だ。
しかも再試合の影響で試合間隔が短縮され、試合開始はわずか50分後。
クワイエット・ジャパンの戦いは、ここからが本番だった。
イングランドのキックオフから日本のアタックが始まった。観客席では、日本がボールを持つ度に歓声が上がる。フィジカル面では劣るが、準備されたアタックと規律あるディフェンスで戦うクワイエット・ジャパンの姿は、観衆を味方につけていた。
クワイエット・ジャパンは堂々と戦った。しかしイングランドの壁は厚かった。
1対1の局面で止め切れずにラインブレイクを許す。試合は0-40で終了した。
しかし、気落ちしている暇はない。30分後には3位決定戦のキックオフが控えていたからだ。相手はフィジー・バーバリアンズ(以下、フィジーB)。チームは、休憩もほとんどないまま、ウォーミングアップへ向かった。
足取りは重く、会話もない。そんな空気の中、円陣で大塚主将が手と口で訴えた。
「3位のメダルを家族や友達に持って帰ろう。長い人生の中の、たった14分だ。出し切ろう」
そうだ、そうだ。仲間の手が強く動いた。
クワイエット・ジャパンの最終戦が始まった。
アンストラクチャーに強いフィジーに対し、日本は試合開始からアタックを1分以上継続。疲れを感じさせない集中力で、相手にボールを渡さなかった。そして敵陣ゴール前5メートルまで持ち込むと鮫島功生がラックサイドを突く。先制トライ! と思われたが、オブストラクションの反則を取られた。これが痛かった。
すぐにフィジーのアタックが始まる。のらりくらりとパスを回しつつ、ギャップを見つけるとすぐさまタテを突く。クワイエット・ジャパンは、大型ランナーたちのランとオフロードを止め切れなかった。90メートルをつながれ、トライを許した。
それでも自分たちのスタイルを信じるジャパンは、再び攻撃を開始。今度は敵陣ゴール前5メートルでスクラムを得た。そして得意の形に持ち込むと、パスをつなぐ。最後は土田がトライを奪い、7-7での折り返しとなった。
後半は日本のキックオフで始まった。土田のキックが、バウンドしてタッチを切る。その瞬間、フィジーが走った!
クイックスロー。そしてパス1本でボールは逆サイドへ動く。スペースを得たランナーが日本のゴールラインを陥れた。
さらに後半2分、4分とたて続けにトライを奪われ7-28。反応が少しでも遅れると、分かっていても止められないのがフィジー。その怖さが現実のものとなった。
勝敗は決したが、それでも日本は攻撃を続けた。
後半7分、自陣からパスをつなぐ。蛇目直人が50メートルを走り切ってトライを奪った。しかし14-28で戦いは終わった。
優勝はウエールズ。準優勝イングランド、3位フィジー・バーバリアンズと続き、クワイエット・ジャパンは4位だった。
3位のメダルには届かなかったが、持てる力を出し切った。
選手を迎え入れる落合監督の目は赤く腫れ上がっていた。
(リポート/柴谷晋)