二世歌人であることを誂われた和泉式部の娘・小式部内侍が即興で詠み放った、お見事すぎる名歌 (2/3ページ)
(画像出典:Wikipedia/小式部内侍)
和泉式部といえば、最初の夫である橘道貞と離婚した後の、冷泉院の皇子である為尊親王やその弟の敦道親王との華やかな恋愛を描いた『和泉式部日記』で知られる、平安朝を代表する女流歌人の1人です。『勅撰和歌集』にはなんと238首もの歌が選ばれています。
紫式部と同じ時期に一条天皇の中宮彰子に仕えていたこともあり、『紫式部日記』の女房批評にも
「男にだらしないところがあるけれど、ちょっとした言葉にセンスがあり、歌にも趣がある。こちらが恥じ入るほどのすごい歌人とまでは思わないけれどね」
という内容で名前が登場しています。
そんな名女流歌人の娘である小式部内侍も、母親に似て幼い頃から歌の才能に恵まれていました。しかし「2世」であるがゆえに、彼女の歌は「母親が代作しているのだろう」と噂が立ち、あまり評価されなかったといいます。
「お母さんからの代作の使者は来たの?」とからかった四条中納言をギャフンと言わせた歌さて、小式部内侍は母の和泉式部とともに一条天皇の中宮彰子に仕えていましたが、後に母は藤原保昌と再婚し、丹後国(京都府)へ下っていきました。そんな時、都で歌合せが行われることになりました。歌を詠むこととなった小式部に、中納言・藤原定頼がなんとこんな質問をしました。