冠婚葬祭という四文字熟語の中にお葬式と結婚式が同居していることの違和感

心に残る家族葬

冠婚葬祭という四文字熟語の中にお葬式と結婚式が同居していることの違和感

冠婚葬祭。これは人が生まれてから亡くなり、その後に行われるものを含めた家族の催し物を指す。この言葉は、通過儀礼である催し物の一種として現在に定着しているが違和感がある。予め日程が決まっていて、人生でもっとも幸せな日である結婚式を催し物という分には納得できる。しかし、直前まで日程が決まってなく、人生でもっとも悲しい日であるお葬式を果たして催し物と呼ぶことができるのか。そもそも、通過儀礼としても、全く違う性格を持つ結婚式とお葬式が冠婚葬祭の四文字の中に同居していることに強い疑問がある。そこで今回は日本の場合とアフリカの場合の結婚式とお葬式の捉え方を探っていこうと思う。

■日本の場合の結婚式とお葬式

日本の結婚式では、儀式が終了後に必ずといっていいほど、行われる催し物が存在する。結婚披露宴である。これは結婚を公に発表するための宴会のことであり、通常結婚式というときは披露宴まで含むケースが非常に多い。このような観点から結婚式を催し物と捉える考え方は理解にたやすい。

一方、日本のお葬式は、前日に必ず行うものがある。お通夜である。これは遺族やゆかりのある人が集まって、故人と最後の夜を過ごすものであり、お葬式といっしょに行われるものである。故人を偲ぶという観点から考えても、お葬式を催し物と捉えるにはあまりにも無理がある。仮に結婚式の日程とお葬式の日程と時間が重なってしまった場合は、お葬式を優先しなければならない。このように日本では人生でもっとも幸せな日である結婚式と人生でもっとも悲しい日であるお葬式を同列と捉えることは到底できない。

このように考えると、まったく違う性質を持つ冠婚葬祭という言葉に対する疑問は深まるばかりだ。

■アフリカ諸国の場合の結婚式とお葬式

一方、アフリカ諸国で行われるお葬式は、日本とはまったく違う性質を持つ。特に異彩を放つのは、ガーナである。ガーナのお葬式には、故人の死を悲しむのではなく、新しい人生を得た故人をみんなで祝福するという意味合いがこめられている。

日本では、お葬式を祝福とする概念は考えられないので理解に苦しむが、ガーナの人々にとってはこの考え方は普通なのである。今回はガーナを取り上げたが、マラウイをはじめとするアフリカ諸国でもこの考え方が普通なのである。このような観点から、アフリカ諸国ではお葬式を催し物と捉えることにたいしての違和感はない。

またアフリカ諸国の結婚式は、人々による踊りながらの入場や、楽器の演奏などお葬式との類似点が非常に多い。そこで結婚式も催し物と捉えることは容易である。このようにアフリカ諸国では結婚式とお葬式を催し物として捉えているので、冠婚葬祭という文字の同居についても納得できる。

■冠婚葬祭という言葉

結婚式とお葬式を催し物として捉えているアフリカ諸国では、冠婚葬祭という言葉に違和感はなかったが、日本では幸せの代名詞である結婚式と悲しみの代名詞であるお葬式が同居する冠婚葬祭という言葉には少なからず違和感がある。この違和感は日本人が冠婚葬祭という通過儀礼に優劣をつけてしまったことが原因である。

日本の場合、結婚式とお葬式は優劣があってまったく違うものという考えが定着している。ただどちらも親族が集まるという面で共通点を見出すこともできる。共通点を見出すことができるということは、通過儀礼としての優劣は存在しないはずである。優劣をなくしてどちらも通過儀礼としての催し物と捉えることが、冠婚葬祭の意味を理解する近道になるだろう。

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